詳説「ダンウィッチの怪」お箸休め

 現在連投中の「詳説ダンウィッチの怪」について、いくつか。

 序章15KB、執筆に6時間。第1章33KB、執筆にほぼ序章の2倍。
 着実に増殖しとりますね。平日に1日1時間程度時間をあてたとして……週に2章進められればいい感じですね。今回はついうっかり土日を執筆にあててしまいましたが、以後はあれこれ予定が入っておりますもので。
 なお、現状のプロットはこんな感じです。脳内では書き終え済みなのですけれど、テキスト打ち込みに時間がかかるのは致し方なく。脳と端末を直結したい今日この頃です。

第2章 BY THE HILL OF DREAMS(夢の丘にて)
『夢の丘』はじめ、「ダンウィッチの怪」の元ネタとなった作品群。マッケン、ホーソーン、ブラックウッド、ラッドたち……そして今回新たに発見した知られざる元ネタ小説。


第3章 YOG-SOTHOTH,or EARTH GOD(ヨグ=ソトース、あるいは大地の神)
 モーパッサン「オルラ」などに見える透明の怪物たちの系譜、そして「大地の神」としてのヨグ=ソトース。


第4章 EROI, EROI!(神よ、神よ!)
 聖書のパロディ、あるいは儀式魔術としての「ダンウィッチの怪」。バールスン解釈に、森瀬の独自解釈を融合。


第5章 BEYOND THE ANCIENT TRACK(古えの道の彼方に)
 ラヴクラフトの「古えの道」から説き起こし、後続の作家、作品へと続くダンウィッチへの分岐点。

 この他、追記事項などを随時「補遺」の形でアップしていく予定でおります。
 今回、はてなで発表しているのはあくまでも叩き台。何しろ、書いた端からぽんぽんアップしておりますので、推敲も何もあったものではありません。いずれ、商業刊行物に載せる(よう働きかける所存)折には、更なる増補・改訂を加えるつもりです。御意見、御感想、指摘事項などについてはTwitter上でどうぞ!

http://twitter.com/Molice

 では−−最後までお付き合いいただければ幸いです。

詳説「ダンウィッチの怪」第1章-3

 ニューイングランド地方を背景とするラヴクラフトの小説作品は、多くの場合、その直前に彼が直接その地に足を運んだことが執筆のきっかけになっている。
 不全麻痺を患い(実際には梅毒であったようだ)、精神に異常を来たしてプロヴィデンスのバトラー病院に入院した夫ウィンフィールドを亡くした後、感受性の強い女性だったラヴクラフトの母サラもまた神経を病み、精神を病み、度重なる奇行を繰り返した後に1921年5月21日に亡くなった。
 ラヴクラフトを溺愛し、独占し、創作を含む精神活動を除く彼の私生活のあらゆる面を支配していた母が亡くなったことは(ラヴクラフトはそれでも母を深く愛していたようだ)、他人と親しく交わらず、本ばかり読んでいた天才肌の青年にようやくもたらされた〈解放〉の瞬間だった。
 彼はボストンなどの町で活動していたアマチュア文芸愛好家グループに参加し、生まれて初めて得た同好の友人たちと共に、ニューイングランド地方の各地を旅行するようになった。5年間という短い期間ではあったものの、ラヴクラフト夫人となった年上の未亡人ソニア・H・グリーンと彼が出会ったのは、まさに彼の母が亡くなったその年のことである。ナショナル・アマチュア・プレス・アソシエーションのボストン大会で知りあった彼らは、4年の交際を経て1924年3月3日に結婚した。
 ラヴクラフトがニューヨークのブルックリンに移り住んだのは、この時である。

「ひきこもりの怪奇小説作家、ラヴクラフト。彼は読者や同好の士とのひんぱんな文通以外には、ほとんど世間とかかわらずに暮らした。数回の旅行を例外として、生涯、郷里のロードアイランド州プロヴィデンスから離れることもなかった。」
−−『よくわかる「世界の怪人」事典』(廣済堂文庫)より


 などと書かれることの多いラヴクラフトだが、このニューヨーク時代も含め、頻繁に旅行している。このあたりについては、現時点では竹岡啓氏(id:Nephren-Ka)の日記が参考になる。

参考:ラヴクラフトの旅行(凡々ブログ)
http://d.hatena.ne.jp/Nephren-Ka/20091101

 母の生前にも、ラヴクラフトはダンセイニ卿の講演を聞くべく、ボストンまで足をのばしている。同じニューイングランド地方とはいえ、高速な交通手段のなかった時代に、曲がりなりにも隣の州へ出かけることは、小旅行と言っても良かっただろう。
 以後、彼は生涯に渡って頻繁に旅行に出かけた。その多くは、文筆活動を通じて知り合った友人を訪問することが目的だったが、ラヴクラフトは旅先で友人宅に引きこもっていたというわけではなく、精力的に滞在地の近隣の土地をめぐり、親類や友人に宛てた手紙や、旅行記録の中で旅行中に見聞きしたことを熱心に書き記した。
 彼がニューイングランド地方の歴史や伝説について本格的に調査するようになったのは、妻と別居した彼がプロヴィデンスに〈帰還〉して以降のことだが、それ以前からこうした旅行を通じて様々な土地についての見聞を深め、後年、アーカム物語群として花開いたのである。
 1923年10月頃に執筆したと思われる「魔宴」の舞台となったのはキングスポートという架空の町だったが、この町はマサチューセッツ州の実在の港町、マーブルヘッドをモチーフとしている。その前年の12月14日に、ラヴクラフトはマーブルヘッドを訪れている。ラヴクラフトは、夕暮れのマーブルヘッドに心を奪われた。マーブルヘッドは丘のようになっている町なので、坂の上から密集した屋根を一望することができたのである。
 彼は1930年3月12日付のジェームズ・ファーディナンドモートン宛ての手紙の中で、屋根に降り積もった白い雪が「狂気じみた夕焼け」に染まっていく光景から、「ある啓示と暗示を受け、宇宙と一体化することができた」と述懐している。
 この経験から生まれたのがキングスポートという町なのだ。これぞ、英国王の港−−そのような思いを込めたのだろう。翌年の4月にもラヴクラフトはマーブルヘッドを訪れ、この時には、セイラムやニューベリーポートといった、マサチューセッツ州東海岸沿いの古い町を巡り歩いたという。先行する「家のなかの絵」「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」で既にアーカムという町をこしらえていたとはいえ、実質的にはこのキングスポートこそが最初のラヴクラフト・カントリーの町と言えるかも知れない。
 なお、「インスマウスの影」が執筆されたのは1931年の11月から12月にかけてのことだが、ラヴクラフトはその直前に、ニューベリーポートを再訪している。この寂れた田舎町(当時)こそが、影横たわるインスマスのモチーフとなったのである。(注5)
 旅行と創作のあからさまな関連性は、ラヴクラフトの単純さというよりも、ラヴクラフト・カントリーにまつわる小説作品−−アーカム物語群の執筆は、彼にとって郷土愛の発露であると同時に、旅行記を兼ねていたのである。
「ダンウィッチの怪」の場合も、事情は全く同じだった。
 この作品が執筆された1928年、彼は実に頻繁に旅行を繰り返している。
 とりわけ関係が深いと思われるのは、友人ジェームズ・F・モートン−−「クトゥルーの呼び声」に登場する鉱物博物館長のモデル−−をニュージャージー州パターソンに訪ね、スプリングバレーやスリーピー・ホローを経由して帰還した5月の旅行。
 後に「闇に囁くもの」の舞台となるヴァーモント州に滞在した後、マサチューセッツ州北部中央のアソールにウィリアム・ポール・クックを訪ねた6月の旅行。
 同じ6月の後半には、ボストンのアマチュア文芸愛好家グループで知識ばかり蓄えた世間知らずの青年(ラヴクラフト)の面倒を何くれと見てくれたイーディス・ミニター夫人−−ラヴクラフトは、この女性のことを賞賛の念を込めて「偉大なアマチュア」と呼んでいた−−の招きで、マサチューセッツ州西部の田舎町ウィルブラハムへと足を運び、ここに2週間に渡って滞在している。
 このウィルブラハムこそが、ダンウィッチの重要なモチーフなのである。

「舞台はミスカトニック渓谷の奥−−アーカムのずっとずっと西の方です」
−−『定本ラヴクラフト全集』9巻(国書刊行会)より


 ラヴクラフトは前述のモートンに宛てた、「ダンウィッチの怪」と題する新作について触れた1928年6月の手紙の中で(文面から、この書簡は彼が6月中の2つの旅行−−その内1つは、他ならぬモートンを訪ねる旅だ−−を終えた後に書かれたものと推測される)、このように書いている。
 この時点で、既にアーカムのモチーフとして実在のセイラムが想定されていたことについては、前項で既に書いた通り。そして、ウィルブラハムはセイラムのずっと西にある町なのだ。ここでラヴクラフトが述べているダンウィッチの位置は、間違いなくウィルブラハムを意識したものだろう。
 しかし。実際に完成した「ダンウィッチの怪」の−−よりによって冒頭を、ラヴクラフトはこんな文面で書きだしてしまったのだ。

マサチューセッツの北部中央を旅する者が、ディーンズ・コーナーズをすこしすぎたアイルズベリイ街道の分かれ道で、つい誤った道を進むと、うらわびしい一風変わった土地に入りこんでしまう」
−−大瀧啓裕・訳「ダンウィッチの怪」より、『ラヴクラフト全集』5巻(東京創元社)収録


 これほどまでにはっきりした記述にも関わらず、やはりマサチューセッツ州の西部に位置しているのではないかと思わされる記述も作中に散見されるのだ。
 ダンウィッチは、一体どこにあるのだろうか−−。
 ラヴクラフトと友人たちの間で取り交わされた数々の書簡に目を通す術を持つはずもなかった初期の読者たちにとって、ダンウィッチの位置を巡る問題は長らく難題としてのしかかっていたことだろう。
 この謎を解く鍵は、ラヴクラフトの旅行にあった。
 ニューハンプシャー州との州境に近い、マサチューセッツ北部の丁度中心に、アソール−−ウィルブラハム行きの少し前、ラヴクラフトが訪れた友人ウィリアム・ポール・クックが住むアソールの町が位置しているのだ。
 ここから先については、シンプルな答え合わせとなる。アソールとウィルブラハムからの直接的影響については、「ダンウィッチの怪」についての優れた論考を幾つも著したドナルド・R・バールスンが、ペンペン草も生えないほどに話の種を掘り尽くした後なので、本稿では以下にその一部を箇条書きで概要を示す。
 興味のある方は、『定本ラヴクラフト全集』9巻(国書刊行会)に収録されているバールスンの「恐怖の陰に潜むユーモア」を参照されたい。

アソール由来の事項:

  • センチネル・ヒル - ウェスト・ヒルの重畳にあったセンチネル・エルム・ファーム(名称を拝借)
  • 熊の穴 - アソールの北、ノース・ニューセイラムのベアーズデン(熊の穴)
  • フィーラー、ファー、フライ、ビショップ、ホートン、ライス、モーガン - アソールの名家

ウィルブラハム由来の事項:

  • 人の死に際して魂を奪いに来る夜鷹の伝承 - ミニター夫人の友人、エヴァノア・ビービの家に伝わっていた地元の伝承
  • センティネル・ヒル - ウィルブラハム山(外見)
  • チョーンシィ(サリー・ソーヤーの息子) - ミニター夫人の家の使用人


 この他にも、アソールやウィルブラハムについてラヴクラフトが友人に書き送った手紙の記述が、ほぼそのままの形で反映された記述が、「ダンウィッチの怪」には多々見つかっている。例えば、ラヴクラフトリリアン・D・クラークに書き送った1928年7月1日付の手紙の中で、彼はウィルブラハムから受けた印象をこのように語っている。

「住民たちは完全にはっきりと分かれています−−庶民が衰退の一途を辿る一方で、良家の人々は古きよき伝統を維持しているのです」(森瀬繚・訳)

 そして、この文面とほぼそっくり同じ内容の文章を「ダンウィッチの怪」の中に見つけることができる。

「一六九二年にセイレムからやってきた、紋章をつける資格をもつ二、三の家を代表する古い家系の者たちは、どうにかあまねく広まる衰退をまぬかれてはいるものの、多くの分家はあさましい住民のなかに埋没して、その名前だけが自らを辱めている家柄を示すただ一つの鍵にすぎなくなってしまっている」
−−大瀧啓裕・訳「ダンウィッチの怪」より、『ラヴクラフト全集』5巻(東京創元社)収録


 なお、物語中で夜鷹と共にダンウィッチ近隣の土地の不気味なたたずまいを大いに強調している蛍の乱舞は、ラヴクラフトが滞在中に実際にウィルブラハムで見られたものだ。かつて見られたことのない規模の、空前の数の蛍が平原といい、森の中といいあでやかに光を放ちながら飛び回る様を、ラヴクラフトは"witch-fire"−−魔女の炎と表現している。
 ダンウィッチという町は、アーカムプロヴィデンスとセイラムの合成であったのと同様、アソールとウィルブラハム−−そしてモンソン、ハンプデンなどの近隣の町の地理と、ラヴクラフトがそれらの町から受けた印象から生まれたのである。「ダンウィッチの怪」以後に書かれた作品の記述を尊重するならば、「北部中央」という記述はこの際スルーすることにした方が無難だろう。
 虚構と現実が混ざり合ったこうした作品を愉しむにあたり、時系列とか地理上の錯綜とかいった矛盾点に、そこから新しい〈事実〉を引っ張り出す以外の目的で拘泥してはいけない。シャーロック・ホームズの物語の〈作者〉であるコナン・ドイルと、シャーロック・ホームズの事件簿の〈記録者〉であるジョン・H・ワトソンが、同時期のロンドンに併存したところで、カケラも問題はないのである。要は、心の中に複数の時系列と、複数の因果律を共存させることだ。ヨグ=ソトースへと至る道は、まずはその一にして全の鍵を手に入れることから始まるのである。
 話を戻そう−−なお、筆者が2005年に手掛けた『図解 クトゥルフ神話』(新紀元社)には、アーカムやダンウィッチ、インスマスの位置を示す地図を掲載している。これらの地図は、ラヴクラフトの小説や書簡の記述のみならず、オーガスト・W・ダーレスはじめ他のクトゥルー神話作家たちの作品において言及されるラヴクラフト・カントリーの位置を示す情報を抽出し、整理し、比較し、検討した果てに到達した成果である。
 中でも、ダンウィッチの位置情報を含む地図を作製するにあたって、最終的に参考にしたのはChaosium社のテーブルトークRPGクトゥルフ神話TRPG(旧名・クトゥルフの呼び声)』のソースブックのひとつ、"H.P,Lovecraft's DUNWICH"だった。単に綺麗な地図が載っていたからというわけではなく、このソースブック掲載の地図に示された各土地の位置関係が、実に理に適っていたからだ。
 マサチューセッツ州に実在している、アーカムやキングスポート、インスマス、ダンウィッチのモチーフとなった町の位置関係については、下の地図を参照されたい。(注6)

インスマスを覆う影」の記述を信じるならば、アーカムはセイラムよりも北、ニューベリーポートよりも南に位置する。この町からミスカトニック河がゆるやかに蛇行しながら西へのびて行き、その南側によりそうようにアイルズベリー街道が続く。そして、その先の先、標識の取り払われた分岐点の先−−地理的にはおそらく、ウィルブラハムの北北西方向−−に、今となってはその名前の口にされることは滅多にな……くは全然ないのがアレだけれど、まあないことになっているダンウィッチの町があるのだ。

注5 PHP研究所から刊行されているコミック版『インスマウスの影』の解説文中で、インスマスの位置関係などについては詳説済みである。なお、インスマスという地名そのものはラヴクラフト1920年に執筆した「セレファイス」が初出であり、当初は英国のコーンウォール地方に位置する村として設定されていた。

注6 筆者は、2008年の夏にニューイングランド地方に2週間に渡って滞在し、これらの町を実際に訪れている。この詳説を増補する際には、写真資料や見聞録を追記する予定だ。なお、残念ながらアソールには行きそびれてしまったので、いずれ改めて足を運びたいものである。

詳説「ダンウィッチの怪」第1章-2

 前述の『クトゥルー神話全書』において、リン・カーターは「ダンウィッチの怪」を〈ミスカトニック郡〉〈ラヴクラフト地方〉を舞台とする物語群の最初の一冊と位置づけた。
 確かに、「クトゥルーの呼び声」はプロヴィデンスに始まる物語であはったが、ニューオーリンズノルウェー、そして南太平洋へとその舞台は変転し、決してニューイングランドの土地と伝承に根差した作品ではなかった。
「この作品でラヴクラフトは彼のマサチューセッツ州の神話的な領域を探検しはじめ、その多くを初めて文章で綴った」−−これはリン・カーターの言葉だが、ラヴクラフト自身、クラーク・アシュトン・スミスに宛てた1928年8月31日付の手紙において、これを裏付ける発言を行っている。

「ようやく新しい物語を書く時間が取れました。(中略)四十八頁の長さですから、ライトなら「ノヴェレット(森瀬注:中篇小説)」に分類するでしょう。ライトにはまだ見せていませんが。題名は「ダンウィッチの怪」で、アーカムものの一つです」
−−『定本ラヴクラフト全集』9巻(国書刊行会)より


 アーカムもの−−原文では、"ARKHAM CYCLE"となっている。
 アイルランドの半人半神の英雄クー・ホリンにまつわる数多くの物語を含むアルスター物語群(ULSTER CYCLE)に敬意を表し、本稿ではアーカム物語群という呼称を用いることにする。ラヴクラフトが、彼が敬愛するダンセイニ卿のペガーナ神話に倣い、幾つかの固有名詞のゆるやかな使いまわしによって形成しつつあった物語群について、何かしらの名称を用いたのは、おそらくこれが最初のことではないかと思われる。
 なお、1930年代の初頭に書かれた「狂気の山脈にて」執筆用の覚書において、ラヴクラフトは「クトゥルーその他の神話(Cthulhu & other myth)」という名称を使用していた。「クトゥルー神話」である。このことについては以前、日記に書いているので、下の参考urlを参照して欲しい。

参考:26年目の真実(墨東ブログ)
http://d.hatena.ne.jp/molice/20110205/1296916772

 さて−−アーカム物語群というからには、まずはアーカムのことを知っておかねばならないだろう。
 今更くだくだしく説明するまでもないが−−アーカムという地名は、ラヴクラフトが創造した、マサチューセッツ州の沿岸地域に位置する架空の町の名前である。アーカムの初出は、ラヴクラフトの初期作品−−1920年12月12日に執筆された「家のなかの絵」という小説で、アマチュア文藝誌"National Amateur"1919年7月号(1921年の夏に刊行)に掲載された後、"Weird Tales"1924年1月号に掲載された。
 家系にまつわる調査のため、ニューイングランド地方の森林地帯に位置するミスカトニック渓谷(これが「ミスカトニック」の初出である)を訪れていた主人公が、アーカムへと向かう近道に選んだ荒れ果てた道を自転車で移動中に突然の嵐に遭遇し、奇妙な老人が独り住まいする木造の一軒家に入りこむというのがその筋立てだ。アーカムへの言及はほんの1カ所で、この作品からはまだ大した情報は得られない。
 続いてアーカムが現れるのは「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」で、分割掲載ではなく全6話の連載作品として執筆され、"Home Brew"1922年2月号から7月号にかけて連続掲載された、ラヴクラフトには珍しい作品である。その生涯を通じて、ラヴクラフトの雑誌連載作品は「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」と「潜み棲む恐怖」の2つのみであり、同時にまたラヴクラフトにとっては版元の発注に基づき執筆した(いやいやではあったが)、初めての作品でもあった。
 明らかに、メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』をモチーフとするこの作品については、いずれ詳説する機会を設けるつもりなので、今回はアーカムの話にとどめおく。
 この物語の舞台はアーカムと設定されているものの、ニューイングランド地方に位置しているかどうかについては明記されていない。代わりに、ラヴクラフトは新たな、そして重要なワードを新たに発明することによって、「家のなかの絵」のアーカムとこのアーカムが同一の場所を指すことを暗示した。皆さんお待ちかね−−「ダンウィッチの怪」でも重要な役割を担うことになるラヴクラフト・カントリーの象牙の塔ミスカトニック大学の登場である。
 十年単位の設定の変遷を経て、アーカムという町はマサチューセッツ州セイラムの写し絵と姿を変えていく。1934年3月頃に、ラヴクラフトが手づから作製したアーカムの地図は(注4)、町の中心にミスカトニック大学の長方形のキャンパス(これは、ブラウン大学のキャンパスによく似ている)が位置していることを除けば、通りの名前といい、不吉な名前を持つ西部の丘といい、セイラムそのものと言ってよい。
 しかしながら、「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」の時点では明らかにラヴクラフトの故郷、ロードアイランド州の州都、プロヴィデンスそのものだった。作中に現れるメドウ・ヒルのチャップマン農場は、プロヴィデンスのチャップマン家をイメージしたものだろうし、クライスト・チャーチもまたプロヴィデンスの有名な教会の名だ。してみると、ミスカトニック大学のモチーフは、アイビー・リーグに名を連ねるプロヴィデンスブラウン大学なのだと通説通りに考えて問題ないはずだ。
 なお、アーカムが、マサチューセッツ州内におけるロードアイランド州の飛び地のような場所なのだという論考を、以前、コミック版『クトゥルフの呼び声』に寄せた解説中で書いているので、興味のある方はそちらをお読みいただきたい。
 ともあれ−−「家のなかの絵」「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」を通して、アーカムという地名について得られる情報はごくわずかだ。

「家のなかの絵」

「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」

 最後に掲げたボルトンは、作中でアーカムの近隣にあるとして名前が登場する町だ。実は、このボルトンという町こそが、ダンウィッチについての重要な手掛かりとなるのだ。BBCのコメディ番組「空飛ぶモンティ・パイソン」のファンならば、ボルトンという駅名が「死んだオウム」という有名なスケッチ(寸劇)に登場することをすぐに思い出せることだろう。ボルトンというのは英国北西部、グレーター・マンチェスターに実在する町なのだ。そしてまた、ボルトンの名からもうひとつの駅名を連鎖的に思い出すことだろう。イプスウィッチ−−英国サフォーク州の州都である。どうか、この地名を覚えておいて欲しい。
 アーカムという町が、ラヴクラフト・カントリーにおいて重要な位置を占めるようになるのは、ラヴクラフトの自伝的な作品、彼にとっての『夢の丘』(後述)とも言える「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」を仕上げた直後、1927年3月に執筆した「宇宙からの色」以降のことだ。アーカム西部の丘陵地帯に落下した隕石を巡る、ラヴクラフト自身の言葉を借りれば地球外的な物語である。

 魔女の伝説に満ちた古ぶるしき町、その西側に広がる荒れ果てた丘陵地帯には、インディアンよりも古い石造りの祭壇がある。アーカムとその周辺の土地では時折、怪事件が起きてはミスカトニック大学の教授たちの調査対象となり、アーカムの地元の新聞(この時、まだアーカムのローカル紙には名前がなかった)を賑わせていた−−。


 以上の如く要約した「宇宙からの色」中のこの町のイメージは、今日の読者が抱く「アーカム」そのものだ。どうやらボストンの近くにあるらしいことが示され、魔女の伝説、魔女裁判などの語をもってセイラムとの関連性が示唆されたのも、この作品からである。
「宇宙からの色」はヒューゴー・ガーンズバックの"Amazing Stories"1927年9月号に掲載され、このことによって怪奇小説には興味を示さなかったSFファンの間にもH・P・ラヴクラフトの名前が知られるようになっていくのだが−−ラヴクラフトニューイングランド地方を舞台とする一連の物語の中心にアーカムという町を据えたのは、まさにこの時だったのだと思われる。
 ARKHAM CYCLE(アーカム物語群)の幕開けである。

注4 ラヴクラフトお手製のアーカムの地図は、1942年秋発行の"The Acolyte"No.1に掲載された。ラヴクラフト死後のことである。1934年3月28日付のドナルド・ワンドレイ宛の手紙の中で、彼は「私が最近したことは、アーカムの地図を構築することでした。私が将来書くいかなる物語においても描写を一貫させることができるようにするためです」と書いているが、1934年3月から彼が病没する1937年3月15日−−その3年という短い期間に、彼の作品中にアーカムが登場することはなかった。

詳説「ダンウィッチの怪」第1章-1

<-序章を読む

[この詳説は、ラヴクラフト自身の手になる文書は当然ながら、リン・カーター、S・T・ヨシ、ドナルド・R・バールスン、竹岡啓はじめ先人たちによる研究成果を踏まえつつ、森瀬繚独自研究に基づく見解を少なからず含んでいます。本稿の内容をWEBサイト、刊行物に盛り込む場合、森瀬繚にコンタクトして最新情報について照会するのが賢明です。もし、神をも畏れぬ蛮勇があなたをしてこの禁を侵さしめた時、きっと間を置かず七つの呪いが御身に降りかかることでしょう。何と羨ましい。]

 本稿の目的は「ダンウィッチの怪」という作品の分解と解析−−筆者はこの楽しい作業を〈微分〉あるいは〈素因数分解〉と呼んでいる−−であって、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトという人物の評伝を書くことではない。
 ラヴクラフトとその作品について興味を抱かれる方は、既にコミック版『クトゥルフの呼び声』に解説を寄せている上、リン・カーターの『クトゥルー神話全書』(40年近く前の古い本ではあるが、訳者・監修者による詳細の注釈によって補足されている)が刊行されたばかりなので、これらの本にあたることをお勧めする。
 ここでは、「ダンウィッチの怪」と分かち難く結び付いている、その執筆前後の事情から説き起こすことにしよう。
 ラヴクラフト研究家のS・T・ヨシによれば、「ダンウィッチの怪」の執筆は1928年8月のこととされている。但し、ジェイムズ・F・モートンに宛てて〈「ダンウィッチの怪」という題名になるはずの新しい物語〉について報告した手紙の日付が誤りでないのなら、ラヴクラフトは6月の時点でこの作品の準備に取り掛かったのかも知れない。(注1)

 やがて1926年、妻の勧めもあってラヴクラフトは懐かしいプロヴィデンスへと帰還し、母親ほどではないものの過保護な叔母二人と一緒に暮らすようになる。ラヴクラフトが、ニューヨークで暮らした2年を除き、その人生の大半を過ごしたニューイングランド地方−−とりわけ生まれ故郷であるプロヴィデンスをどれほど愛しているか気づかされたのは、まさにこの「帰還」の時なのだろう。
−−宮崎陽介『クトゥルフの呼び声』(PHP研究所)、森瀬繚による解説より


 1924年、アマチュア作家仲間のソニア・H・グリーンと結婚するべくニューヨークへと移り住んだラヴクラフトであったが、オハイオ州で働くことになった妻と別居状態になったのをきっかけに、生まれ故郷のプロヴィデンスロードアイランド州の州都)へと〈帰還〉した。1926年4月17日のことである。
 この年の8月から9月にかけて執筆された「クトゥルーの呼び声」は、1925年−−即ち、彼の不在中のプロヴィデンスを描いた作品である。彼は、2年間のニューヨーク生活によって生じた自らの〈欠落〉を、小説の執筆によって埋めようとしたのかも知れない。以後、ラヴクラフトの小説に占めるニューイングランド地方を舞台とする作品の割合は、目に見えて増えて行く。「クトゥルーの呼び声」と「ダンウィッチの怪」の間に、彼が手がけた作品は7作品。その実に6作品までが、ニューイングランドにまつわる物語なのだ。
 以下、その該当作を示そう。

  • 1926年9月 「ピックマンのモデル」ボストン、セイラム
  • 1926年10月〜1927年1月 「未知なるカダスを夢に求めて」ボストン
  • 1926年11月 「銀の鍵」ボストン
  • 1926年11月 「霧の高みの不思議な家」キングスポート(モデルはマーブルヘッド)
  • 1927年1月〜3月 「チャールズ・ウォードの奇妙な事件」プロヴィデンス
  • 1927年3月 「宇宙からの色」アーカム(モデルはセイラム)

 残り1つはアメリカ中西部を舞台とする「イグの呪い」で、ゼリア・ビショップの依頼を受けたラヴクラフトが彼女のアイディアを元に原稿を全部書きおろした、実質的にはラヴクラフト作品と言って良い作品だ。
 決して多作とは言えないラヴクラフトの創作活動を通して、作品の数だけで言えば小説執筆に手を染めたばかりで作風や文体の模索を続けていた1920年代の初頭に匹敵する、充実した時期である。
クトゥルーの呼び声」をいったん突き返すなど、"Weird Tales"のファーンズワース・ライト編集長による冷遇はまだ続いていたが、ヒューゴー・ガーンズバック(注2)によって1926年に創刊されたばかりの"Amazing Stories"1927年9月号に掲載され(但し、原稿料は25$)、1924年に彼が書いた「忌み嫌われる家」の単行本刊行を友人のウィリアム・ポール・クックが持ちかけてくるなど(注3)、新たな道が開けつつもあった。
 こうしたラヴクラフトの活躍を横目で眺めるにつけ、このユニークな作家と距離が開くのは得策ではないものと判断したのかも知れない。"Weird Tales"のライト編集長は、1927年10月号に「ピックマンのモデル」を掲載したのに引き続き、かつて没にした「クトゥルーの呼び声」を1928年2月号に、「潜み棲む恐怖」を同年6月号にと、次々と掲載し始めたのだった。
 ニューヨーク時代に彼が執筆した「レッド・フックの恐怖」が、1928年にイギリスで刊行された怪奇小説アンソロジー"You'll Need a Light"に収録されたこともまた、植民地在住の英国人を自負するラヴクラフトの自尊心を大いに満足させたことだろう。
「ダンウィッチの怪」の執筆にとりかかった頃、いつも必要以上に自分の才能を卑下しがちなラヴクラフトは、目に見える実績に裏付けられた作家としての自信を持ち始めていた。その数年後、彼がようやく育てた自信は、畢生の大作「狂気の山脈にて」が拒絶されたことで打ち砕かれてしまうのだが、それはまた別の話である。

注1 おそらくこの書簡を根拠に、リン・カーターは『クトゥルー神話全書』において「ダンウィッチの怪」の着手時期を1928年6月としている。

注2 ヒューゴー賞の由来となったSF草創期の立役者。

注3 ウィリアム・ポール・クックはドリフトウッド・プレスというアマチュア出版社を経営していた。「忌み嫌われる家」は1928年に300部が印刷されたものの、クックの家庭を見待った不幸によって製本されないまま放置された。よって、ラヴクラフトの最初の単行本とはならなかった。この印刷原稿は、ラヴクラフトの死後、R・H・バーロウとアーカムハウスによってそれぞれ製本されている。

詳説「ダンウィッチの怪」第1章-4

 さて、我々はかくの如くにして、ダンウィッチの地理上の位置をある程度特定することができた。この先に進む前に、最後に残された問題−−「ダンウィッチ」という名前について、解決しておかねばならないだろう。
 ラヴクラフトが「ダンウィッチ」という地名をどこから捻りだしてきたのかについては、古くから定説とされている先行作品がある。
 19世紀英国の詩人アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーンが1880年に発表した、"By the North Sea(北海)"だ。スウィンバーンのこの詩は、英国の東岸、サフォーク州沿岸の都市ダンウィッチを題材にした作品なのである。
 ダンウィッチはブライス川とダンウィッチ川の河口の町で、かつてこの地方で勃興したイースト・アングリア王国の中心的な都市として繁栄した。
 イースト・アングリア王国自体の興亡とは無関係に、13世紀以後、このダンウィッチは衰退の一途を辿った。1286年頃から海岸線の浸食が始まり、19世紀にはついに町の全てが海に沈んでしまったのである。
 ブルターニュ地方に伝わる水没都市、イスにまつわる伝説が、ヴィクトール・アントワーヌ・エドゥアール・ラロや、クロード・ドビュッシーら音楽家たちに霊感を与えたのと同様、その殆どが海に沈み、神殿を思わせる瓦礫の山が残されたダンウィッチもまた、スウィンバーンはじめ詩人や作家の題材となったのだ。
 そして、"A land that is lonelier than ruin, A sea that is stranger than death(滅びよりも孤独なる陸地 死よりも奇異なる海)"という語りかけから始まるこの詩の影響により、ラヴクラフトもまたニューイングランドの衰退した町と、その住民たちの運命を仮託して、「ダンウィッチ」という名前を与えたのだ−−というのが、ダンウィッチの地名にまつわる有名な説である。
 しかし、ここに一つだけ重大な−−しかも今となっては解決不能な問題が残されている。ラヴクラフトは、スウィンバーンの"By the North Sea"が、喪われたダンウィッチにまつわる作品であることを、はたして−−「ダンウィッチの怪」の執筆以前に知っていたのだろうか?
 事実関係を整理してみよう。

Q) ラヴクラフトは、"By the North Sea"を読んだことがあっただろうか?
A) その通り。確かに彼は、その詩を読んだことがあった。


Q) じゃあ、ラヴクラフトはダンウィッチの地名をこの詩から引っ張り出したんだね?
A) さあ、それについては何とも言えない。


 S・T・ヨシが作成したラヴクラフトの蔵書録並びに読書歴の詳細な記録、"Lovecraft's Library: A Catalogue"によれば、ラヴクラフトが持っていたスウィンバーンの詩集はただ1冊。1919年にニューヨークのモダン・ライブラリー社(後にランダムハウス社によって買収)から刊行された"Poems(詩集)"で、この本には確かに"By the North Sea"が収録されている。
 但し−−と、ヨシは指摘する。この"Poems"には、ただの1回も'Dunwich'の語が現れないのである! 幸い、問題の1919年版"Poems"のリプリント版の全文をWEB上で調べることができたので(何という便利かつ恐ろしい時代!)、筆者も隅々まで確認してみたのだが−−確かに、この詩集にはただの1度も「ダンウィッチ」の語が現れないのだ。
 ここから、筆者の(いつもの)地獄が始まったのである。
 筆者が調べることができた範囲で、"By the North Sea"についての批評が最初に現れたのは、1880年の7月から12月にかけて発表された文学作品を対象とする"The literary world"の第22号だ。

"In two poems of considerable length.one entitled "Off Shore," the other "By the North Sea," Mr. Swinburne treats largely of the sea as a force eating away the land, and blends with this treatment a vague suggestion of sunworship or exaltation of the old cult of Hyperion and Apollo.(一方は"Off Shore"、もう一方は"By the North Sea"と題するかなり長めの2つの詩において、スウィンバーン氏が主に謳っているのは、陸地を浸食する力としての海である。そこに混交させる形で太陽崇拝、即ち往古のハイペリオンやアポロの信仰の称揚がおぼろげに示唆されているのだ。)"


 この評を見る限りは、海岸の浸食を受けている石造りの廃虚は、グレコ・ローマンの神殿と結び付けられたように思われ、そこにはダンウィッチという実在の場所についての情報は一切含まれない。
"By the North Sea"に関連して、ダンウィッチという語が最初に現れるのは、1887年にChatto & Windusから刊行されたスウィンバーンの"Selected poems(詩選集)"である。
 この詩集の中で、合計7節から成る"By the North Sea"は何故か3つの別々の詩に分割掲載された。1〜2節が"BY THE NORTH SEA"、3〜5節が"IN THE SALT MARSHES"。
 そして、6〜7節につけられたタイトルが、"DUNWICH"だったのである。
 この頃になると、"By the North Sea"が海に呑まれつつあるダンウィッチの廃虚を題材にした詩だということが、文藝の世界では知られ始めていた。
 しかし、「ダンウィッチの怪」が執筆された1928年8月以前に、彼が"By the North Sea"とダンウィッチの関係を知っていたという確証は全くない上、"Lovecraft's Library"に掲載されている1000冊近い書物の中に、そのことについて触れた本は1冊も存在しないらしいのだ。(ヨシの調査とは別に、筆者も独自に調査を行った)
 また、ラヴクラフトは、1929年3月8日付の詩人エリザベス・トルドリッジ宛の書簡において、スウィンバーンの詩は初期の方が魅力的だった語っている。"By the North Sea"は、スウィンバーン爛熟期の詩作であり、初期のものとは言えないだろう。
 確かに、スウィンバーンの"By the North Sea"に漂う退廃的な魅力は否定しがたく、ラヴクラフトが「ダンウィッチ」という地名をここから採ったのだと考えたくなってしまう。しかしながら、傍証すら得られない以上、これを前提に論を組み立てることはできない−−これが、「ダンウィッチ=スウィンバーン起源」説についての筆者の考えである。
 とはいえ、スウィンバーンの"By the North Sea"は、確かにラヴクラフト作品に大きな影響を与えているように思える。S・T・ヨシも指摘していることだが、この詩に謳われる廃町の様子は、ダンウィッチというよりもむしろインスマスの印象に近いものだ。 ラヴクラフトは、ニューイングランド沖の荒涼たる島々に棲みつく地球外生物についての物語−−言うまでもなく、「インスマスを覆う影」である−−にまつわる構想に、1928年頃からとりかかっている。トルドリッジ宛ての手紙にスウィンバーンの名前が現れたのが、その前後で"Poems"を読んだことがきっかけになったのであれば、この詩はむしろ後の「インスマスを覆う影」の方にこそ影響を与えたのかも知れない。
 なお、インスマスの名家であるマーシュ家の由来は湿地帯を意味する英語の'marsh'と思われるのだが、この語は"By the North Sea"に含まれているのだ。
 それ以上に−−筆者にはひとつ、仮説とすら言えない考えがある。妄想に近いと言っても良い。しかし、もしそれが事実だったなら−−そう考えるだけで、心が湧きたってくる。

"A land that is lonelier than ruin(滅びよりも孤独なる陸地)
A sea that is stranger than death(死よりも奇異なる海)"


"By the North Sea"の冒頭に掲げられた二行連句から、筆者はどうにも別の二行連句のことが思い出されてならないのだ。即ち−−。

"That is not dead which can eternal lie,(永久に横たわれるものは死せずして)
And with strange aeons even death may die.(奇異なる永劫のもとには死すら死滅せん)"


 今となっては、回答は存在しない。解釈は読者諸兄諸姉に委ねることにしよう。
 さて、「ダンウィッチ=スウィンバーン起源」説を退けてしまったところで(否定したわけではないことに注意)、「ダンウィッチ」という地名について、別の起源を提示しなければならないだろう。
 この点については、スウィンバーンの件よりもはっきりとした、疑いようのない明確な根拠の伴う回答を用意することができる。H・P・ラヴクラフトが平素よりその熱心な愛読者であることを公言し、あまつさえ「ダンウィッチの怪」においてその作品名すら掲げている英国の怪奇作家、アーサー・マッケンが1917年に発表した「恐怖」という中篇がそれである。
 第一次世界大戦の最中−−ウェールズの西に位置するという、作中ではメリオンと仮称される寂れた村で、一人の少女が行方不明となった。その事件を皮切りに、メリオンの周辺地域で、次々と不可解な殺人が起きるようになる。ドイツ軍のスパイだと主張する者もいたが確たる証拠は何もなく、実際に目撃されたものと言えば、そこにあるはずのない大木の影と、その枝の間に満たされたギラギラと輝く謎めいた光−−。
 この小説のちょうど真ん中あたりに、だしぬけにこのようなセリフが登場するのである。

「そういえば、このところ、妙な話が行われていましてね。ミドリングハムの在方のほうに向いた側、つまり、ダンウイッチに向いた側の雨戸やカーテンは締めておけというんですな」
−−アーサー・マッケン「恐怖」より、『アーサー・マッケン作品集成III 恐怖』(沖積舎)収録


 ダンウィッチという地名が登場するのはこのシーンだけで、作中の描写からは果たしてサフォーク州のダンウィッチのことを指しているのかどうかすらわからない。ともあれ、「ダンウィッチの怪」後半の事件を彷彿とさせる騒動の最中、作中登場人物の口から、ダンウィッチと呼ばれる場所に何らかの不吉なものが潜むことが暗示される−−これは実に示唆的なシーンである。
 無論、ラヴクラフトは「ダンウィッチの怪」を執筆する以前に、マッケンの「恐怖」を読んでいた。そして、このダンウィッチという地名から、ロードアイランド州のグリニッチ(注7)、マサチューセッツ州イプスウィッチを連鎖したに違いない。
 このイプスウィッチは、「インスマスを覆う影」においても言及されているマサチューセッツ州東部の町で、実在のダンウィッチが位置するサフォーク州の現在の州都が、BBCの「空飛ぶモンティ・パイソン」に関連して持ち出したイプスウィッチなのだ。そして、イプスウィッチは、アーカムの近くにある町として設定されているボルトンの近くにある−−。
 ラヴクラフトがかつてインスマスという地名を創造した時、インスマスの位置はニューイングランド地方であるどころか、英国のコーンウォール地方に設定されていた。
 このため筆者は以前、インスマスのモチーフを英国のプリマス、あるいはファルマスではないかと論考した。「-マス」というのは、河口の町につけられる地名なのである。そして、プリマスもファルマスも共に、マサチューセッツ州にも存在しているのだ。(注8)
 マッケンの「恐怖」を読んだラヴクラフトは、ダンウィチという地名がイギリスのサフォーク州にあり、同時にまたイプスウィッチという彼のよく知る町と同名の都市がこの州の州都であることを調べて知ったのかも知れない。
 イプスウィッチが両国にあるのだから、ダンウィッチが両国にあっても何ら差しさわりはないだろう。加えて「-ウィッチ」という語尾は、彼がアーカム物語群を構築するにあたり、その基底に横たわるものとひそかに設定の根を広げていたセイラムの魔女裁判を思い出させる。気にいった!−−たぶん、そんなところだったのではないかと筆者は想像するのだ。
 ちなみに、ダンウィッチと共に新たに提示されたラヴクラフト・カントリーの地名、アイルズベリー(エールズベリー)もまた、英国のバッキンガムシャー州に実在する地名である。この地名を引っ張り出した理由は、マサチューセッツ州東部のエームズベリーという町(セイラムのすぐ近くにある)からの連想だろうと思われる。
 ダンウィッチという町に実体を与えることができた今、ようやく筆者はこれを言うことができる。ダンウィッチへようこそ! 伝統と退廃と宇宙的恐怖が、諸君を歓迎する。
 続く第2章では、「ダンウィッチの怪」の物語が詳説対象となる。この作品に多大なる影響を与えた−−というよりも、ラヴクラフトが元ネタとして用いた先行作品の数々−−とりわけ、第1章でも紹介した「恐怖」を含むアーサー・マッケンの諸作品について解説する予定である。
 読者諸兄諸姉に贈る言葉はただ一つ。予定は未定、決定に非ず。

注7 ロンドンのグリニッジに由来する地名。'Greenwich'と綴る。なお、同じ地名がマサチューセッツ州内にも存在しているが、こちらはグリーンウィッチと発音するようだ。

注8 インスマスの位置情報やその地名の由来については、PHP研究所のコミック版『インスマウスの影』の解説中で詳説した。

詳説「ダンウィッチの怪」序章-4

 しかしながら、疑問が残る。
 果たして、ラヴクラフトは数年来温め続けたこのプロットを、これほどまでに深い愛着をもって繰り返し語ってきた構想を、本当に完全に破棄してしまったのだろうか−−。さて、筆者は読者諸兄諸姉の注意を喚起したい。
 改めて、「古えの民」の概要を読み返して欲しい。あなたは「恐怖の山」ではなく、他の作品でこのプロットに遭遇したことはないだろうか。

 ここで、ロバート・E・ハワードの最初のクトゥルー神話作品として知られる「黒の碑」を思い出された方は、実に炯眼かつ熱心なクトゥルー神話読者であることと思う。筆者も全く同意見で、ハワードはラヴクラフトから伝えられたローマの夢をベースに「黒の碑」を書いたのだと確信している。ちなみに、「黒の碑」の初出は"Weird Tales"1931年11月号。残念ながら、このことについて示唆的あるいは具体的な情報を与えてくれるであろう、ハワードとラヴクラフトの書簡集"A Means to Freedom: The Letters of H. P. Lovecraft and Robert E. Howard"は現在おそろしいプレミア本になってしまっており、入手は大分先のことになりそうなので、今のところこの仮説を補強する材料が手元にない。いずれの課題とさせていただきたい。
 そうではなく、もっと身近なもの。灯台に照らし出されない、その足元に隠れている作品だ。

  • ハロウィーンとベルテインの夜に、山頂の祭壇で捧げられる生贄。
  • 謎めいた異形の神々を信奉する邪悪な先住民族
  • 古代の秘儀伝承に通じる学者の悲壮な覚悟。
  • 邪教弾圧についての生々しい記憶。
  • 魔の山を登っていく討伐団。

 我々は知っている。この作品を知っている。
 筆者は、ここに断定する。「古えの民」の名で今日知られているローマ人ルキウス・カエリウス・ルフスの探索は、「ダンウィッチの怪」の原型であり、同時にまたプロローグに他ならないのだと。
 確たる証拠は何もない。しかしながら、これを裏付ける傍証はある。
 詩人エリザベス・アン・トルドリッジに宛てた1929年9月16日付の手紙の中に、彼女が同封してきたという「インディアン墓から古代ローマの貨幣が発見された」ことを報じる新聞の切り抜きについて、ラヴクラフトはこのようにコメントしているのだ。

 私が年来暖めてきた構想を裏付けてくれました−−つまり、古代ローマの忘れ去られた植民地がアメリカにあったという構想で、その植民地には古代ローマ人が建設した都市があり、神殿を載せた城砦、円柱が並ぶフォーラム、大理石の闘技場、公衆浴場などが見られるわけです。私としては、この植民地を地元の代表的な文明人−−マヤ族、アステカ族など−−と闘わせ、激闘の末に絶滅させるか、そうでなければ自身によって埋没させるつもりです。
−−国書刊行会『定本ラヴクラフト全集』9巻より


 ラヴクラフトは、ルキウスの夢によって与えられたモチーフを、舞台をアメリカに移して再構築しようとしていたのかも知れない。だとすれば、1928年8月に執筆された「ダンウィッチの怪」は、その構想にまつわる前哨作に他ならぬのではないだろうか−−。
 どちらにせよ、もし21世紀においてラヴクラフトの「ダンウィッチの怪」を映像化、ゲーム化、あるいはコミック化するのであれば、プロローグに「古えの民」の物語を挿入するべきである。ルキウス・カエリウス・ルフスの俳優(デザイン)はH・P・ラヴクラフトをモチーフに選び、スクリボニウスの俳優(デザイン)はダンウィッチの恐怖に立ち向かったヘンリー・アーミティッジ博士と二役にするのだ。

[2011年2月27日15:45追記]
 ラヴクラフトはむしろ、執筆を進めながらヘンリー・アーミティッジ博士に自分を投入していったと書いているそうだ。筆者は、老スクリボニウスの悲壮な覚悟の中にアーミティッジ博士の姿を見ていたが、ラヴクラフトの考えを尊重するならばアーミティッジ博士はルキウスのリフレインと見るべきなのかも知れない。

 なお−−原作ではいかにも先住民族的な環状列石として描かれた祭壇は、1970年制作の映画『ダンウィッチの怪』(ロジャー・コーマン製作)だと奇しくもギリシア、ローマ時代の神殿を思わせる造形になっている−−偶然のことだろうけれど。


(映画『ダンウィッチの怪』より)
 さて、プロローグは終わった。賽は投げられた。ここからいよいよ「ダンウィッチの怪」という作品に分け入っていくことにしよう。

黒の碑(いしぶみ)―クトゥルー神話譚 (創元推理文庫)

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ダンウィッチの怪 [VHS]

ダンウィッチの怪 [VHS]

詳説「ダンウィッチの怪」序章-3

 さて−−。『アエネーイス』中盤最大の山場とも言える第6巻、息子アエネーイスがイタリアの地で創りあげる新たな国−−ローマの運命について、老父アンキーセスが告げる予言に思いを馳せ(冒頭に掲げた引用はその一部)、街を覆うハロウィーンの賑わいに耳を傾けたラヴクラフトは、その夜、久しぶりにローマの夢を見た。極めて色鮮やかな、細部まで思い出すことのできる夢として、である。
 後述するが、それはラヴクラフトがかねて待ち望んでいた夢だった。欣喜雀躍の喜びを示した彼は、早速、ルキウスの目を通して彼が目撃した事件について、細大漏らさず詳細に記録した。のみならず、彼は友人たちにもこの喜びを分け与えようと、書簡の中で幾度も幾度も、飽くことなくこの夢の話題を繰り返している。
 筆者の手元で確認した限りでは、ざっとこんな感じである。

  • 1927年11月2日 ドナルド・ワンドレイ宛(「古えの民」)
  • 1927年11月 バーナード・オースティン・ドワイアー宛
  • 1927年12月 フランク・ベルナップ・ロング宛
  • 1928年12月28日 ウィルフレッド・ブランチ・タルマン宛
  • 1928年12月 バーナード・オースティン・ドワイアー宛

 最終的に、書簡そのものが小説として世に出ることになったこの夢について、ラヴクラフトは何とかきちんとした作品に仕上げようと数年に渡って苦心したものらしく、これらの手紙の中で繰り返しそのことを話題にしている。
 とりわけラヴクラフトが大喜びしたのは、ローマ時代のスペインに、実際にポンペローナという町が存在したと知ったことだ。彼が夢の中でその名を聞き知った(と、彼は主張している)ポンペロは、ひょっとすると現在のスペイン北東部にあるパンプローナなのではないだろうか−−。ラヴクラフトの夢の源泉となったのは、ヴェスヴィオ火山の噴火で灰の下に消えたポンペイの町だったのかも知れないが、ここに来てポンペロの事件は俄かに迫真性を増したのである。
 ラヴクラフト自身は、この夢を小説に仕上げるにあたり、共和制ローマ時代の出来事としてそのまま書くつもりはなかった。彼はその構想について、前述のウィルフレッド・ブランチ・タルマンに宛てた書簡中で説明している。以下がその概要である。

 物語は、ピレネー山脈の山腹からからローマ時代の錆びた像−−ローマ軍団の象徴である銀の鷲の像が発見され、とある町の博物館に保管されるところから幕を開ける。
 その後、感受性と想像力の豊かな旅行者が、博物館で見かけたこの像に何故か心惹かれてしまう。博物館の学芸員ドン・ハイメ・エルナンデスモルトーニョから、この像が発見されたあたりは地元の住民たちの間で不穏な噂のもとになっている場所だと聞いた彼は無分別にも山の中に分け入り、廃虚となった町の遺跡を発見する。旅行者の急報で駆け付けた考古学者たち−−ミグエル・ロンゴ・イ・サンタヤとフランシスコ・ベルナピオ・ドティナたちにより、山崩れによって滅びたらしい町の発掘が始まるのだが、何故か家々の様子から崩壊が突然襲ってきた−−ポンペイ、あるいはマリー・セレスト号にまつわる伝説のように−−様子なのにも関わらず、人間の屍体が一切見つからないのだった。考古学者たちからバスク族の住民たちの一部が、山中でおぞましい魔宴に耽っていることを聞き知った旅行者は、共同調査を申し出るのだが−−。

 ところで。先に掲げた「古えの民」の要約を読んで、この〈小説〉そのものを読んだことはなくとも、何かしらの既視感を覚えた人はいないだろうか。
 クトゥルー神話読者なら、是非ともそうあって欲しいものと思う。何故なら、ポンペロにまつわる夢の物語は、ほぼそっくりそのままとあるクトゥルー神話小説作品に出てくるからなのだ。
 フランク・ベルナップ・ロングの"The Horror from the Hills"−−青心社『クトゥルー』11巻には「恐怖の山」のタイトルで、国書刊行会『新編 真ク・リトル・リトル神話大系』1巻には「夜歩く石像」のタイトルで、それぞれ収録されている作品がそれだ。
 象を思わせる姿の吸血の神、チャウグナル・ファウグンとその兄弟たちにまつわるこの神話作品において、ルキウス・カエリウス・ルフスにまつわる夢は、その言動がどこかラヴクラフトを思わせる半伝説的な犯罪調査官、ロジャー・リトルの見た夢として登場する。チャウグナル・ファウグンの従者チュン・ガによれば、この夢は預言者たちのもとに送られたポンペロの滅びの有り様なのだという。
 盗作? いや、そうではない。
 ラヴクラフトは、彼が直接顔を合わせての親交をもった、数少ないプロ作家の一人である(注3)この年若い友人に宛てた1929年2月20日付の手紙の中で、「一昨年の十月に手紙でお伝えした、ローマ時代のスペインの夢を使ってもらっても構いません。おそらく私はこれを作品に仕上げられないと思うので、あの手紙が見つかれば、好きに使っていただいて結構です」と書いている。プロットを譲り渡したのだ。かくして、ロングの「恐怖の山」が"Weird Tales"1931年2月号と3月号に分割掲載されることになったのである。
 ロングによって設定が上書きされたのだとすれば、ラヴクラフトが'Magnum Innominandum(大無名者)'と呼んだのは、チャウグナル・ファウグンということになるだろう。

注3 クラーク・アシュトン・スミスオーガスト・ウィリアム・ダーレス、ロバート・ブロックら、クトゥルー神話成立に深く関わる友人たちの多くは、ラヴクラフトと実際に会ったことはない。

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新編 真ク・リトル・リトル神話大系〈1〉

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