詳説「ダンウィッチの怪」第1章-2

 前述の『クトゥルー神話全書』において、リン・カーターは「ダンウィッチの怪」を〈ミスカトニック郡〉〈ラヴクラフト地方〉を舞台とする物語群の最初の一冊と位置づけた。
 確かに、「クトゥルーの呼び声」はプロヴィデンスに始まる物語であはったが、ニューオーリンズノルウェー、そして南太平洋へとその舞台は変転し、決してニューイングランドの土地と伝承に根差した作品ではなかった。
「この作品でラヴクラフトは彼のマサチューセッツ州の神話的な領域を探検しはじめ、その多くを初めて文章で綴った」−−これはリン・カーターの言葉だが、ラヴクラフト自身、クラーク・アシュトン・スミスに宛てた1928年8月31日付の手紙において、これを裏付ける発言を行っている。

「ようやく新しい物語を書く時間が取れました。(中略)四十八頁の長さですから、ライトなら「ノヴェレット(森瀬注:中篇小説)」に分類するでしょう。ライトにはまだ見せていませんが。題名は「ダンウィッチの怪」で、アーカムものの一つです」
−−『定本ラヴクラフト全集』9巻(国書刊行会)より


 アーカムもの−−原文では、"ARKHAM CYCLE"となっている。
 アイルランドの半人半神の英雄クー・ホリンにまつわる数多くの物語を含むアルスター物語群(ULSTER CYCLE)に敬意を表し、本稿ではアーカム物語群という呼称を用いることにする。ラヴクラフトが、彼が敬愛するダンセイニ卿のペガーナ神話に倣い、幾つかの固有名詞のゆるやかな使いまわしによって形成しつつあった物語群について、何かしらの名称を用いたのは、おそらくこれが最初のことではないかと思われる。
 なお、1930年代の初頭に書かれた「狂気の山脈にて」執筆用の覚書において、ラヴクラフトは「クトゥルーその他の神話(Cthulhu & other myth)」という名称を使用していた。「クトゥルー神話」である。このことについては以前、日記に書いているので、下の参考urlを参照して欲しい。

参考:26年目の真実(墨東ブログ)
http://d.hatena.ne.jp/molice/20110205/1296916772

 さて−−アーカム物語群というからには、まずはアーカムのことを知っておかねばならないだろう。
 今更くだくだしく説明するまでもないが−−アーカムという地名は、ラヴクラフトが創造した、マサチューセッツ州の沿岸地域に位置する架空の町の名前である。アーカムの初出は、ラヴクラフトの初期作品−−1920年12月12日に執筆された「家のなかの絵」という小説で、アマチュア文藝誌"National Amateur"1919年7月号(1921年の夏に刊行)に掲載された後、"Weird Tales"1924年1月号に掲載された。
 家系にまつわる調査のため、ニューイングランド地方の森林地帯に位置するミスカトニック渓谷(これが「ミスカトニック」の初出である)を訪れていた主人公が、アーカムへと向かう近道に選んだ荒れ果てた道を自転車で移動中に突然の嵐に遭遇し、奇妙な老人が独り住まいする木造の一軒家に入りこむというのがその筋立てだ。アーカムへの言及はほんの1カ所で、この作品からはまだ大した情報は得られない。
 続いてアーカムが現れるのは「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」で、分割掲載ではなく全6話の連載作品として執筆され、"Home Brew"1922年2月号から7月号にかけて連続掲載された、ラヴクラフトには珍しい作品である。その生涯を通じて、ラヴクラフトの雑誌連載作品は「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」と「潜み棲む恐怖」の2つのみであり、同時にまたラヴクラフトにとっては版元の発注に基づき執筆した(いやいやではあったが)、初めての作品でもあった。
 明らかに、メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』をモチーフとするこの作品については、いずれ詳説する機会を設けるつもりなので、今回はアーカムの話にとどめおく。
 この物語の舞台はアーカムと設定されているものの、ニューイングランド地方に位置しているかどうかについては明記されていない。代わりに、ラヴクラフトは新たな、そして重要なワードを新たに発明することによって、「家のなかの絵」のアーカムとこのアーカムが同一の場所を指すことを暗示した。皆さんお待ちかね−−「ダンウィッチの怪」でも重要な役割を担うことになるラヴクラフト・カントリーの象牙の塔ミスカトニック大学の登場である。
 十年単位の設定の変遷を経て、アーカムという町はマサチューセッツ州セイラムの写し絵と姿を変えていく。1934年3月頃に、ラヴクラフトが手づから作製したアーカムの地図は(注4)、町の中心にミスカトニック大学の長方形のキャンパス(これは、ブラウン大学のキャンパスによく似ている)が位置していることを除けば、通りの名前といい、不吉な名前を持つ西部の丘といい、セイラムそのものと言ってよい。
 しかしながら、「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」の時点では明らかにラヴクラフトの故郷、ロードアイランド州の州都、プロヴィデンスそのものだった。作中に現れるメドウ・ヒルのチャップマン農場は、プロヴィデンスのチャップマン家をイメージしたものだろうし、クライスト・チャーチもまたプロヴィデンスの有名な教会の名だ。してみると、ミスカトニック大学のモチーフは、アイビー・リーグに名を連ねるプロヴィデンスブラウン大学なのだと通説通りに考えて問題ないはずだ。
 なお、アーカムが、マサチューセッツ州内におけるロードアイランド州の飛び地のような場所なのだという論考を、以前、コミック版『クトゥルフの呼び声』に寄せた解説中で書いているので、興味のある方はそちらをお読みいただきたい。
 ともあれ−−「家のなかの絵」「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」を通して、アーカムという地名について得られる情報はごくわずかだ。

「家のなかの絵」

「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」

 最後に掲げたボルトンは、作中でアーカムの近隣にあるとして名前が登場する町だ。実は、このボルトンという町こそが、ダンウィッチについての重要な手掛かりとなるのだ。BBCのコメディ番組「空飛ぶモンティ・パイソン」のファンならば、ボルトンという駅名が「死んだオウム」という有名なスケッチ(寸劇)に登場することをすぐに思い出せることだろう。ボルトンというのは英国北西部、グレーター・マンチェスターに実在する町なのだ。そしてまた、ボルトンの名からもうひとつの駅名を連鎖的に思い出すことだろう。イプスウィッチ−−英国サフォーク州の州都である。どうか、この地名を覚えておいて欲しい。
 アーカムという町が、ラヴクラフト・カントリーにおいて重要な位置を占めるようになるのは、ラヴクラフトの自伝的な作品、彼にとっての『夢の丘』(後述)とも言える「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」を仕上げた直後、1927年3月に執筆した「宇宙からの色」以降のことだ。アーカム西部の丘陵地帯に落下した隕石を巡る、ラヴクラフト自身の言葉を借りれば地球外的な物語である。

 魔女の伝説に満ちた古ぶるしき町、その西側に広がる荒れ果てた丘陵地帯には、インディアンよりも古い石造りの祭壇がある。アーカムとその周辺の土地では時折、怪事件が起きてはミスカトニック大学の教授たちの調査対象となり、アーカムの地元の新聞(この時、まだアーカムのローカル紙には名前がなかった)を賑わせていた−−。


 以上の如く要約した「宇宙からの色」中のこの町のイメージは、今日の読者が抱く「アーカム」そのものだ。どうやらボストンの近くにあるらしいことが示され、魔女の伝説、魔女裁判などの語をもってセイラムとの関連性が示唆されたのも、この作品からである。
「宇宙からの色」はヒューゴー・ガーンズバックの"Amazing Stories"1927年9月号に掲載され、このことによって怪奇小説には興味を示さなかったSFファンの間にもH・P・ラヴクラフトの名前が知られるようになっていくのだが−−ラヴクラフトニューイングランド地方を舞台とする一連の物語の中心にアーカムという町を据えたのは、まさにこの時だったのだと思われる。
 ARKHAM CYCLE(アーカム物語群)の幕開けである。

注4 ラヴクラフトお手製のアーカムの地図は、1942年秋発行の"The Acolyte"No.1に掲載された。ラヴクラフト死後のことである。1934年3月28日付のドナルド・ワンドレイ宛の手紙の中で、彼は「私が最近したことは、アーカムの地図を構築することでした。私が将来書くいかなる物語においても描写を一貫させることができるようにするためです」と書いているが、1934年3月から彼が病没する1937年3月15日−−その3年という短い期間に、彼の作品中にアーカムが登場することはなかった。