マアナ=ユウド=スウシャイ、夢見るままに……

[Twitterで連投したネタより転用]

 2005年にケイオシアム社から刊行された『マレウス・モンストロルム(Malleus Monstrorum)』の書名は、おそらく15世紀の異端審問官によって書かれた『魔女に与える鉄槌(Malleus Maleficarum)』のパロディであろう。『怪物に与える鉄槌』。即ち、屠られるべき手配怪物百科というわけだ。
『マレウス・モンストロルム』は、CoC(クトゥルフ神話TRPG)のセッション上で使用することを前提とする、クリーチャーデータ集である。解説クリーチャー数は実に380種。H・G・ウェルズの火星人からジョン・ウィンダムのトリフィドまで、実に様々な怪物が、CoCの数値データと共に名前を連ねている。マニア心をたいそうくすぐるデータ集ではあるけれど、それなりの批判も寄せられている。
 例えば、「ウェンディゴ」の項目に、このような記述がある。

「2体以上のウェンディゴが出会えば死ぬまで戦い続ける」


 おそらくこれは、D・ハームズの『エンサイクロペディア・クトゥルフ』の曖昧な記述(ハームズは要約が得手ではないと思う)を根拠に、項目担当ライターが筆を滑らせてしまったのだろう。別の機会に解説するが、出典となる小説とは全く異なるニュアンスの、『マレウス・モンストロルム』独自の設定になってしまっている。
 そしてまた、ロード・ダンセイニの少なからぬ愛読者にとっては、アザトースの化身の一つとしてペガーナ神話のマアナ=ユウド=スウシャイの名前が挙げられていることが噴飯物だったようだ。
 マアナ=ユウド=スウシャイは、〈宿命〉と〈偶然〉という神々の命を受けて、他の神々を創造した後、微睡みの中にいるという神である。「この世はマアナ=ユウド=スウシャイの見ている夢」だという挿話が、同様のことを言われるアザトースと結び付けられたのだろう。

 ところで、「この世はアザトースの見ている夢」だというWEB上などで時々見かける設定の初出が見つかっていない。御存知の方は、是非に情報をお寄せいただきたい。
「存在するものはすべて、アザトースの思考によって創造された」という設定は、ヘンリー・カットナーの「ハイドラ」が初出と思われる。ラヴクラフトはこの神について「万物の王である盲目にして白痴の神」「いいようもなく恐ろしい原初の邪悪」以上の情報を与えない。 参考までに。

 ともあれ、アザトースとマアナ=ユウド=スウシャイを結び付ける両者の読者は過去に少なからず存在した、というか誰もが思いつく「ネタ」ではあった。
 が、敢えて商業刊行物にそれを載せることで批判に晒されたというのが『マレウス』のケースである。

クトゥルフ神話TRPG マレウス・モンストロルム (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

クトゥルフ神話TRPG マレウス・モンストロルム (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

ラノラダの兄弟

 閑話休題−−と、ここからが本題。
 H・P・ラヴクラフト自身の口(というか筆)で、クトゥルー神話とペガーナ神話の結び付きについて直接的に言及されたことが1度、あったりする。
 ラヴクラフトは、1930年10月7日付のC・A・スミス宛ての手紙の中で、次のように書いている。

「ダンセイニ卿の作品に出てくるラノラダは、神々が彫刻したもので、ボドラハーンから出る駱駝の道のかなたにある砂漠中の砂漠、第七砂漠に立っていますが、ツァトゥグァはそのラノラダと実の兄弟です」


 このラノラダというのは、正確には神ではない。マアナ=ユウド=スウシャイの秘密を知ってしまったがために、沈黙を続けている叡智の神フウドラザイの似姿として丘に彫り込まれた神像だ。「曠野の眼」とも呼ばれている。
 先に掲げたラヴクラフトの手紙は、スミスから贈られたツァトゥグァの彫像への返礼だ。「ラノラダ(神像)と実の兄弟」というのは修辞的な表現であって、血縁を示すものではないのかも知れない。
 とはいえ、ラヴクラフトが言っちゃったからにはしょうがないよね、前向きに解釈していかないと……というのもまた業の深いクトゥルー者の受け取り方ではある。今後、クトゥルー神話作品中での活用例を待ちたいところ。
 ちなみに、画家、彫刻家でもあったスミスの作品の一部は、こちらのサイトで閲覧することができる。ラヴクラフトに贈ったものとは別のものと思われるが、ツァトゥグァ像の写真も掲載されている。

参考リンク:
Gallery of Art by Clark Ashton Smith

時と神々の物語 (河出文庫)

時と神々の物語 (河出文庫)