寒き霧まく山なみをこえ
「弾はピストルから発射されたものだ。あの距離からピストルで人を撃ち殺すとはかなりの名手だ。手が少しでも震えれば命中しないだろうから、冷静で、暴力に慣れているが、ギリギリまで撃てなかったのは道義心が強い人物だ。つまり探すべきは軍隊に入っていたことがあり、鋼の心を……」
BBCのTVドラマ『シャーロック』において、ベネディクト・カンバーバッチ演じる現代のシャーロック・ホームズが、アフガン帰りのジョン・ワトソン(だと、彼は知らなかった人物)の人柄について推理するシーンのセリフだ。
ワトソンを演じるのはマーティン・フリーマン。英国出身の俳優にして、コメディアン。そして今回、『ホビット 思いがけない冒険』において、主役の座を射止めた人物である。
さて、彼が演じるビルボ・バギンズとはどのような人物だろうか?
映画『ホビット』におけるビルボのキャラクターは、『ロード・オブ・ザ・リング(以下、LotR)』におけるフロド・バギンズに比べると、大分複雑になっている。
冷静で、暴力に慣れているが、ギリギリまで暴力に訴えない強い道義心を持ち、鋼の心を持つ男。ホームズのワトソン評は、同時にまたこの冒険を通して証明されていく、ビルボ・バギンズというキャラクターそのものを的確に言い表わした言葉でもある。
アフガン−−のような戦場には、まさにこれから赴くところだ。平穏を愛しながら冒険に憧れ、臆病でありながら死をも恐れず、真面目くさっていながら愛嬌がある。
ビルボのそうした性格付けは、『LotR』の中ではフロドとサムワイズ(サム)、メリアドク(メリー)、ペレグリン(ピピン)の4人に分散されていた「ホビット」という種族の性格が、ホビットとしては単独でドワーフたちの旅に同行する彼の一身に集められているということが大きいのだろう。ビルボとは、フロドたちの性格のオリジン(原型)でもあるわけだ。そして、彼のそうした多面性は、彼を疑いの眼で見つめる海千山千のドワーフたち、ひいては視聴者である我々の目の前で万華鏡のようにくるくると変化し、ガンダルフを驚嘆させてやまないという「ホビット」という種族の魅力をまんべんなく伝えてくれるのだ。後年、冥王サウロンの指輪の影響を受けた彼は、自らの状態を「二つに引き裂かれたようだ」と表現したが、その萌芽はそもそもの最初から彼の内に潜んでいたのかも知れない。
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古き洞穴の地の底をめざして
ピーター・ジャクソンは今回、J・R・R・トールキンの原作『ホビットの冒険』を三部作の映画として解体・再構築するにあたり、「理由」というものを重視したように思える。
あらゆるシーンにおいて、原作では曖昧にしか説明されていなかった「何故、これはこうなのか」という部分が、視聴者にはっきりとわかるように示されている。
例えば、有名な3匹のトロルのシーン。エリアドールの北、エテン高地に住みついているトロルが何故、街道のあたりまで南下してきていたのか。そして、エレボールのドワーフ(『ロード・オブ・ザ・リング』のギムリも含まれる)がエルフを毛嫌いしているのは何故なのか。
ジャクソンは、原作の本筋であるドワーフたちの探索行の背景でひそやかに進行していた、通奏低音とも言うべきドル・グルドゥアを巡る物語をクローズアップし、賢人会議の面々や茶のラダガストを登場させることで、中つ国の西部に垂れこめる暗雲を描いて見せる。前述のトロル出現、そしてオークたちの蠢動も、その流れの中に位置づけられる。
そしてそれは、ドワーフたちの探索を阻むトラブルであるだけでなく、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作の物語を誘うプレリュードともなっている。
映画『ホビット』において巧みに演出される「理由」付けはこれだけにとどまらないが、これ以上申し上げるのはネタバレになってしまうだろう。
なお、灰色のガンダルフが何故、ほとんど有無を言わさぬ強引な手段をとってまで、平和に暮らしていたビルボ・バギンズを冒険の旅へと駆り立てたのか−−この点について、原作『ホビットの冒険』と今回の映画、そして『指輪物語』は明瞭な説明を与えなかった。ただし、トールキン自身がその理由を説明しようと書いた文章が存在し(『王の帰還』掲載の追補として執筆されたものの、その長さからカットされた)、『新版ホビット』(原書房)に日本語訳されているので、ご興味がある方はそちらをあたると良いだろう。
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今回の映画もさることながら、『ホビット』絡みで幾つかの短い文章仕事をいただいたのが起爆剤となって、久しぶりに僕の中のトールキン熱がぐいぐいとあがってきている。
何年も遅らせてしまった中つ国本に、いいかげんとりかからなければ!
(さぼってるわけではなく、"THE HISTORY OF MIDDLE-EARTH"の参照作業に時間がかかりまくっている)