読者への挑戦!

 永井豪氏はクトゥルー神話の影響を受けているや、否や−−。
 時折、このようなやり取りを見聞きすることがあります。
 日本の若い本読みに「クトゥルー神話」というものを周知させるにあたって大いに功績のある栗本薫氏の伝奇SF小説『魔界水滸伝』の挿絵を永井豪氏が担当されたことはこの際、脇におくとして。ここで言う「影響を受けている」というのは、『魔王ダンテ』『デビルマン』などの悪魔にまつわる作品を執筆するにあたり、永井豪氏がクトゥルー神話を参考にしていたかどうか−−その点に関心が集まっているということです。
魔王ダンテ』『デビルマン』は共にユダヤ教/キリスト教的世界観における神と堕天使(悪魔)の闘争をテーマにしているのであって、クトゥルー神話は関係ないのではないかと思われる向きもあるかも知れません。
 とはいえ、『魔王ダンテ』(1971年に『週刊ぼくらマガジン』誌上で連載開始)において永井氏が提示した「超古代の地球を侵略してきたエネルギー生命体としての〈神〉」、そして『デビルマン』(TVアニメ版)におけるデーモン族、ヒマラヤ山脈の氷の中に閉じ込められていた地球先住民族だという設定は、いやがおうにもクトゥルー神話を思い起こさせます。
 このあたりについて、永井氏がはっきりと「クトゥルー神話の影響」について口に出したことは、僕の知る限りではありません。とはいえ、永井豪氏が「読者」としてクトゥルー神話に関心があったことを裏付ける客観資料は存在します。徳間書店から刊行されたコミック雑誌リュウ』の創刊2号がそれです。
 この号の目玉企画は、作家の平井和正氏、漫画家の石森章太郎氏の対談記事で、永井豪氏がその司会を務めています(実質的には鼎談ですね)。永井氏が石森氏のアシスタント出身であることは、皆さんも御存知のことでしょう。
 対談のテーマは『幻魔大戦』。今日の感覚では『幻魔大戦』といえば平井和正氏の小説作品(とその劇場アニメ版)というイメージが強いかも知れませんが、最初の作品は1967年に『週刊少年マガジン』に連載された同名のコミックであり、平井氏と石森氏の「共作」でした。そして徳間書店は、SFコミック雑誌として1979年に創刊した『リュウ』(『アニメージュ』誌増刊の扱い)において、『週マガ』で打ち切り同然だったにも関わらず根強い人気を集めていた『幻魔大戦』を目玉コンテンツに掲げたのです。同社の『SFアドベンチャー』誌では、これに並行して平井氏の小説『真・幻魔大戦』が連載されました−−まあ、どちらも打ち切り同然に終わってしまったわけですけれど。
 さて。『リュウ』創刊2号の対談は、新生『幻魔大戦』のキックオフであったわけですが、平井氏はこの中で、これまでに書いた作品が全て『幻魔大戦』に収斂していくのではないかという発言と共に、『幻魔』ワールドについて「公開自由の原則というか、書きたい人にはだれにでも書かせるというふうにやるべきなのかもしれない」という興味深い発言をされています。そして、この発言に対する永井氏のコメントが−−。

永井 ラブクラフトの「クトゥルー神話」ですね。

 というものでした。(「ラブクラフト」の表記はママ)
 つまり、この対談が収録されたのであろう1979年夏の時点で(『魔界水滸伝』の連載は1981年に始まりました)、永井氏は「複数の作家たちによる共通の世界観」としての「クトゥルー神話」を意識されていたということが、この対談から明らかになっているわけです。
 では、永井氏はどのようにして「クトゥルー神話」のことを知ったのか−−まあ、本人に聞いてしまうのが手っ取り早いわけですが、今現在揃っている情報の中に、推論を組み立てる十分な手掛かりが含まれています。
 それは、何だかわかりますか?
 僕(森瀬)なりの考えについては、次の更新のためにとっておきましょう。