海神様の素性

 とはいっても、さしたる苦労はなかったのだけれど。4日間の大半は、『南総里見八犬傳』縁の土地を訪れるのにその大半が費やされたというのが本当のところである。
 さて。「幸運の海神様」として頼朝の隠れ岩に設置されているこのレリーフの制作者を見つけ出すべく、まずは調査の基本として南房総市の商工観光課に問い合わせたところ、以下の回答が得られた。

・件の神像は、2002年に現在の場所に設置される以前、白浜町役場のロビーに飾られていた。(白浜町は2006年に他町と合併して南房総市になっている)
白浜町観光案内所に勤務されている樋口さんという女性職員の旦那様が制作された。

 南房総市役所ではこれ以上のことがわからなかったので、これ以後は現地取材となる。
 白浜町観光案内所に足を運んだのは白浜町滞在2日目の19日。地元をあげての海女祭りの準備に忙しい中、件の樋口さんからお話を伺い。ご主人のアトリエの場所を教えてもらうことができた。
 白浜町の西横渚(よこすか)のアトリエ、なばえ陶苑にて活動を続けられている陶芸家の樋口茂明氏が、かの神像を制作された御当人である。なばえ陶苑はちょっとした人気観光スポットになっているようで、観光情報サイトにも紹介ページが設置されていた。

「陶魂一徹」

 友人の書道家から贈られたという見事な書が、樋口氏のアトリエの入口近くにかかっている。しかしながら、御本人はそうした厳しい雰囲気からは遠い、いかにも「南国の人」という感じのファンキーな御老人で、突然訪ねた僕を快く陶房に迎え入れてくれた。彼が白浜町に居を構えたのは1979年のこと。陶芸については全くの独学で、30代半ばまでは商社マンだったそうだ。
 陶芸に目覚めたきっかけは、道端で拾った一片の陶器。その瞬間、頭の中が陶器でいっぱいになってしまい、矢も盾もたまらず未知の世界に分け入ったのだとか。まるで、ジョセフ・フェルディナンド・シュバルと理想宮のエピソードのようだ。
 さて、彼の口から語られた、かの奇ッ怪な神像の来歴は以下の通り。
 樋口氏は白浜町から「やすらぎの家」という老人向け慰労施設に設置される、温泉の壁を飾るオブジェの制作依頼を受けた。これが1981年のことである。
「利用客が元気になる、あっと驚くようなものを作りたい」
 そうは思いながらもなかなか「これ」といった着想が浮かばず、作業に着手できないままに納期が目前に迫ってきた。そんな中、頭を悩ませながら嵐の海岸を歩いていた彼は、猛烈に荒れ狂う雨と波の中、岩壁が大きな蛸のように触腕をくねらせながら自分の方に近づいてくるような感覚に捕らえられた−−。
「これだ!」
 仕事場に飛んでかえった樋口氏は、家族総出で制作に取りかかった。こうして出来上がったのが、今は頼朝の隠れ岩からぎょろりと観光客を睨みつける、蛸とも龍ともつかない海神様の像なのである。