夜刀浦への道

 さて、大荒れの浜辺で得たというヴィジョンから生まれた海神像だが、この話にはオチがある。
 残念ながら、このレリーフは納期に間に合わず、「やすらぎの家」には結局、『東海道五十三次』をモチーフにした壁画が飾られたということだ。樋口氏は既に貰っていた制作費を返還すると共に、大嵐のもたらした怪物の像を白浜町に寄贈したという話である。
 その後、長きに渡って白浜町の町役場のロビーに飾られていた海神像が白浜町の観光促進の目玉として引っ張り出されたのが2002年のこと。史跡としては少々地味だった「頼朝の隠れ岩」に、自分が20年前に制作した怪物の像が、開運と豊漁をもたらす海神として祀られたことを、樋口氏は事後に知らされたということだ。
 ヒトのつくりし神、「創造の大蛸」は、今日も昨日と同じく、明日も今日と同じく、白浜に打ち寄せる荒波をじっと見つめている。「彼」の前には貝殻で作られた賽銭箱が置かれ、開運を願う観光客が岩屋を訪れてはその前で手を合わせ、御利益を求めて幾ばくかの小銭を捧げるのだ。
 なお、石橋山の合戦で敗れた源頼朝が隠れ潜んだという「隠れ岩」がその代表例だが、白浜という場所は、伝統的に三浦半島からの逃げ延びてきた武者を数多く迎え入れてきた土地柄だ。和田の乱後、房総半島に落ち延びたという朝比奈三郎義秀もこの地から上陸したのかも知れないし、結城合戦に敗れた里見義実もやはり三浦半島からこの白浜へと渡り、房総半島における最初の居城をこの地に定めている。曲亭馬琴は、『南総里見八犬傳』の冒頭で、三浦から今しも海を渡ろうとする義実主従の前に、さながら彼をいざなうかの如く白竜が天に昇って南へと飛翔するというシーンを迫力たっぷりに描いている。

TwitterでのゆうきまさみさんのTweetで、頼朝は土肥の真鶴岬から船を漕ぎ出したことを思い出しました。彼に限っては、三浦半島からというわけではありませんね。(2010年4月30日22:00追記)

 以前、『Role&Roll』誌のクトゥルー神話TRPG特集号でミニサプリメント「夜刀浦綺譚」を書き下ろした際、「夜刀浦は体制に敗れた者など、本土でケガレとされたもの達が流れ着く場所」「そのため、本来は清浄な聖地が穢れ果ててしまった」ことを匂わせるような記述をしていたが、実はこの時点では山中他界、海中他界にまつわる民俗学的なスタンダードに従ったというだけのことで、余り深く考えていたわけではなかった。
 日本に数箇所しかない鯨の水揚げ港である和田浦港のある「和田町」が和田氏と関係の深い土地であることをすっかり失念していたし(この南房総行きのちょっと前、鯨の解体を見学に和田町へ足を運んでいたりする)、白浜町のこうした歴史のこともさほど強くは意識していなかった。
 その後、『秘神』を読み返したところ「和田」姓の登場人物を発見して何かが脊髄の上を這い登るのを感じ、白浜町に斯様な海神像が祀られていることを知って、今では「夜刀浦は本当にあるのではないか」と考えるようになっている。

Role&Roll(ロール&ロール) vol.20

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