江本創氏の幻想標本
日記を読み返してみると、かつて南洋の孤島にある巨大学園に君臨したアブラハム・(中略)・カダフィー閣下や相方の静川龍宗君と連れ立って、銀座の青木画廊で開かれていた江本創氏の個展「7つの大罪〜悪徳の容貌」に足を運んだのは、もうかれこれ3年前のことになる。
江本創氏は僕よりも2つ上。筑波大学にて芸術を学ばれた後、銅版画、リトグラフなどを経て、現在は標本作品の制作を手がけられている。
幻想標本と名づけられた一群の標本は、夢や幻から生まれたようなこの世ならぬ生物達を現実世界へと取り出してみせたもの。その著書であり、作品集でもある『幻獣標本博物記』は、A・ヒロポンスキー博士と多々良蝶介博士という洋の東西の評価されざる研究者の集めた生物標本という体裁を取っており、異端の生物学者ペーター・アーマイゼンハウフェン博士の作品を集めた『秘密の動物誌』を彩っている異形の標本群を彷彿とさせる。
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氏の個展「7つの大罪」は、傲慢、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲というキリスト教に言う人間の7つの大罪をテーマに定め、それぞれの罪から生み出された異形の怪物を標本として仕上げたものだ。ギャラリーに並べられている20個ほどのありえざる生物標本を溜息をつきながら鑑賞している内に、吸盤つきの触腕を生やした章魚のような頭部を持つ標本(右端の写真)に目が吸いつけられた。ここ数年、妙に慣れ親しんでしまった、どこかで見たことのあるようなフォルム。こいつはまさか……。
そんなことを思っている内に、製作者である江本創氏がギャラリーに現れ、入り口のところにある受付スペースに入り込んだ。その時のことだ、氏の手が素早く動いてテーブルの下に1冊の本を滑り込ませるのを森瀬の目が捉えたのは! 生活空間に既に溶け込み、余りにも見慣れたその黒表紙の文庫本を、見間違えようもない。巻数こそわからなかったけれど、間違いなく創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』だったのである。
吸盤付きの濡れた触腕が首筋を撫でるのを感じながら、江本氏に御挨拶して彼の作品へのラヴクラフトの影響の有無について聞いてみた。江本氏の話によれば、クトゥルーに似ているのは偶然で、彼の作品との共通点が多いということで知人から勧められ、件の展示会の少し前になってラヴクラフトを読み始めたという話だった。西洋では悪魔の魚と見なされる頭足類を具象化すると、やはりこのフォルムに行き着くのだろうか。
なお、英語圏の方に伺った話では、イカやタコを"Devil Fish"と呼んだのはかなり昔のことで、一般に"Devil Fish"といえば地中海などに生息しているイトマキエイの一種の呼び名であり、若い人にタコやイカを指して"Devil Fish"と言っても何のことやらわからないということだ。よし、覚えた。