『ユリシーズ』を読まないラヴクラフト

 話は変わって。
「speculativejapan」という日記にあがっていた「『ユリシーズ』を読むラヴクラフト−−ラヴクラフト再評価のためのノート」というタイトルのエントリについて、幾つか事実誤認が見られるようでしたので、別途、こちらで書いておくことにします。(該当事項については筆者様にご連絡済み)

該当記事のurl:
http://speculativejapan.net/?p=148

ラヴクラフトはエリオットの詩の他に、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』も読んでいたという。『ユリシーズ』について、ラヴクラフトは書簡の中で、難解であるという意味のことを述べていたが、作品の意図についてはある程度理解していたようだ。

 1924年のエッセイ"The Omnipresent Philistine"において、ラヴクラフトは確かに『ユリシーズ』とジェイムズ・ブランチ・キャベルの『ジャーゲン(ユルゲン)』を共に「現代の芸術への重要な貢献」と書いております。が、1927年6月3日、11月11日のダーレス宛の手紙の中で、ラヴクラフトは実に2度に渡って「『ユリシーズ』を読もうと思ったこともない」と言及しています。実際に読んだのは抜粋のみというお話。
 ダーレス-ラヴクラフトの書簡集"Essential Solitude: The Letters of H.P.Lovecraft and August Derleth"はHippocampus Pressから2008年に刊行された新しい資料ですが(しかも、既にして稀購本)、この情報自体は1996年に刊行されたS・T・ヨシの"A SUBTLER MAGICK: THE WRITINGS AND PHILOSOPHY OF H.P.LOVECRAFT"(Borgo Press)などの関連書の中で指摘されています。
『文学における超自然の恐怖』の解題において大瀧啓裕氏が指摘していることでもありますが、ラヴクラフトには深く考えるでもなく本を適当に読み散らしたり、おぼろげな記憶やあやふやな伝聞に基づいて(裏付け調査をするでもなく)作品について論ずる傾向が少なからず見られたようです。どうやらマーガレット・A・マレーの魔女論を鵜呑みにしていたあたりについては、どのように評したものかどうかまだちょっとわかりませんが……。

[2011年3月1日追記]

 1924年1月8日付のフランク・ベルナップ・ロング宛書簡において、ラヴクラフトは『ユリシーズ』はじめ幾つかの作品に、更に露骨な論評を寄せています。

「『ユリシーズ』とか『ジャーゲン』とか−−あるいはスウィフトの最低の駄作とかを昨今のバカな洒落者が褒めそやすのに、本当の意義や芸術的な見識などありはしないのです。大きな子が家畜小屋の裏手の壁に白墨で書いた卑猥な言葉を小さな子が褒めそやすようなものです」(竹岡啓・訳)


Essential Solitude: The Letters of H. P. Lovecraft and August Derleth: 1926-1937

Essential Solitude: The Letters of H. P. Lovecraft and August Derleth: 1926-1937

A Subtler Magick: The Writings and Philosophy of H. P. Lovecraft

A Subtler Magick: The Writings and Philosophy of H. P. Lovecraft

文学における超自然の恐怖

文学における超自然の恐怖

ラヴクラフトが愛着し、最後まで編集者に渡さなかったという『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』を読むと、そうしたことを考えさせられる。


 書簡などの言及から総合するに、編集者に渡さなかったのは愛着からではなく、単に「出来が悪い」ものと考えていたように思われます。「自意識過剰な好古趣味」という表現もありますね。
 コミック版『クトゥルフの呼び声』の解説で少々触れましたが、この作品を「NYを後にして故郷に戻ったラヴクラフトの、半自伝的作品」として受け取り(自分語りである以上、自意識過剰になるのは当然といえば当然ですね)、「レッドフックの恐怖」との対比を通してラヴクラフトの「目線」を探ることができる重要な作品ではあるかと思います。
 とはいえ、「愛着し」というのは事実に反するように思われます。

クトゥルフの呼び声 (クラシックCOMIC)

クトゥルフの呼び声 (クラシックCOMIC)

その過程で、英語圏では50年代〜70年代頃にかけて「文学者としてのラヴクラフト」に重きを置く読者と、シェアード・ワールド的なネットワークとしてのクトゥルー神話を評価する読者とに分離されている状況が発生していたらしいということを知った。


 この「文学者」というのがパルプ作家ということではなく、文芸作家としての意味合いでのことならば、50年代〜70年代に「文学者としてのラヴクラフト」に重きを置く読者はほぼ皆無と言って良かったように思います。(WTの読者の人数は微々たるものですし、アスタウンディング誌でラヴクラフトを知った人にとって、彼は「SF作家」でした)
 少なくともオーガスト・W・ダーレスの存命中は、ラヴクラフトの「読者」と呼べるマスは、クトゥルー神話とのセットで彼を認識していました。
 1970年代頭のリン・カーターの紹介で読者層が広がり、御意見番とも言うべきダーレスが亡くなったことで、ようやく「ダーレスの功罪」論と共に文学者としてのラヴクラフトの研究が始まったのではないでしょうか。
 確かに、御指摘の通りコリン・ウィルソンやヴィンセント・スタリットなど、ラヴクラフトの文章に着目した研究者・評論家はおりましたが、「読者」が「分離」するほどの人数がいたかというと、それはどうでしょう。

 以上。全体として大変興味深い記事なのですが、細かい事実誤認(内1つについては論を組み立てる上での前提条件です)が散見されるのが残念でした。
 さておき、ラヴクラフトの「チャールズ・ウォード」は、彼の魂とわかちがたく結び付いた故郷(ホーム)としての「幻想のプロヴィデンス」の地理的空間(ポータクセットまで物語のエリアを広げていることは重要)、時間的空間をひとつの作品中で表現しようとしたものと見ることができるので、その意味でダブリンという街を徹底的に描いたジョイスの『ユリシーズ』と対比するのは鋭い指摘です。