H・P・ラヴクラフトの元ネタ探し

 Twitterでの過去の発言などを再利用しつつ、本日も更新してみます。

「霧の高みの不思議な家」「未知なるカダスを夢に求めて」などのラヴクラフト作品に、その威厳に満ちた姿を現している〈大いなる深淵の王〉ノーデンス。
 古代イギリスで崇拝された癒しの神−−というよりも、イギリスにまで殖民していたローマ人によって崇拝された、アイルランド神話のヌアザのローマ神名というのが正確でしょう。
 ラヴクラフトによって〈古きもの Elder One〉との関連性が示唆され、フランシス・T・レイニーによりダーレスの言う〈旧神 Elder One、Elder God〉に組み込まれたこの神を、ラヴクラフトはどこから引っ張ってきたのでしょうか。
 よく言われているのは、アーサー・マッケンの「パンの大神」からの影響です。この作品で、ギリシャ神話の牧羊神パンの名で呼ばれる異質な精神的存在の別名が、ノーデンスとされていました。
 しかし、マッケン描くノーデンスは、ラヴクラフト作品に見られる、海豚の引く巨大な貝殻の戦車に乗り、神々を従えた老人の姿とは似ても似つかないものです。
 色々と調べていくうちに、ジェラルド・マッシーという詩人兼エジプト研究者(エジプトロジスト)の著作に辿り着きました。マッシーはまた、「ドルイド古代教団」なるカルトの主宰だったなどと噂される怪人物です。
 彼は聖書の物語とエジプト神話の類似性、特にイエス・キリストとホルス神の相似について着目し、"The Book of Beggining(始原の書)"を1881年に刊行しています。
 実際の話、古代のエジプトは、キリスト教の重要地でした。
 エジプトのアレクサンドリアは初期キリスト教の拠点の一つであり、7世紀に陥落してアラブ世界に組み込まれるまで、総主教座が置かれていました。また、聖母マリアが幼いイエスを抱く「聖母子像」のテーマは、キリスト教以前、エジプトにおいてホルス(ハルポクラテス)を抱イシスの像から影響を受けたと言われています。
 2009年の「海のエジプト展」でも、イシス−ホルスの母子像が多数展示されていました。マリアとイエスの聖母子像が現れるのはアレクサンドリアにあったこうした像が、ローマ・キリスト世界で模倣されたのではないかという説が、有力視されています。

 さて。"The Book of Beggining"の第8章のタイトルは"EGYPTIAN DEITIES IN THE BRITISH ISLES(イギリス諸島におけるエジプトの神々)"。物凄くかいつまむと、イギリスのドルイド信仰の源流は古代エジプトにあるのだ、という文章です。
 今のところソースはありませんが(というかちゃんと調べていない、宿題のひとつ)、ラヴクラフトあるいはブロックの元ネタ本のひとつだったのではないかと疑っています。まずは、マッシーの名前について言及した書簡を探すところからですね。
"A BOOK OF BEGININGS"がラヴクラフトのネタ本であろうという根拠のひとつは、その第8章におけるノーデンスの記述。そこに、英グロスタシャーのリドニーで発掘された「深淵の神」ノーデンスの神殿についての記述があるのです。
 リドニーは、ラムジー・キャンベル作品に縁の深いグロスターシャーにある町です。
 ノーデンス神殿は現地では「小人の教会」と呼ばれていて、1805年に発掘が始まり、呪いのタブレットや神像などが見つかりました。"A Book of〜"には、海神たちを従え、4頭の馬に引かせた戦車に乗ったノーデンスの姿を彫り込んだプレートの挿絵が記載されていたようです。



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リドニーのノーデンス神殿(最大に拡大してください)


 この本にはまた、遺跡から発掘されたラテン語の銘文も載っています。そこには、'God of the abyss(深淵の神)'というノーデンスの尊称が含まれていました。
 ラヴクラフトがこの本を読んでいた可能性は、非常に高いと思われます。
 ちなみに、どうしてキングスポートにノーデンスの地上での棲家があるのかという話については、僕なりの仮説があります。『萌え絵で巡る! クトゥルー世界の歩き方』『ゲームシナリオのためのクトゥルー神話事典』で紹介しましたので、そちらを御覧いただければと。

萌え絵で巡る! クトゥルー世界の歩き方

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