詳説「ダンウィッチの怪」序章-3

 さて−−。『アエネーイス』中盤最大の山場とも言える第6巻、息子アエネーイスがイタリアの地で創りあげる新たな国−−ローマの運命について、老父アンキーセスが告げる予言に思いを馳せ(冒頭に掲げた引用はその一部)、街を覆うハロウィーンの賑わいに耳を傾けたラヴクラフトは、その夜、久しぶりにローマの夢を見た。極めて色鮮やかな、細部まで思い出すことのできる夢として、である。
 後述するが、それはラヴクラフトがかねて待ち望んでいた夢だった。欣喜雀躍の喜びを示した彼は、早速、ルキウスの目を通して彼が目撃した事件について、細大漏らさず詳細に記録した。のみならず、彼は友人たちにもこの喜びを分け与えようと、書簡の中で幾度も幾度も、飽くことなくこの夢の話題を繰り返している。
 筆者の手元で確認した限りでは、ざっとこんな感じである。

  • 1927年11月2日 ドナルド・ワンドレイ宛(「古えの民」)
  • 1927年11月 バーナード・オースティン・ドワイアー宛
  • 1927年12月 フランク・ベルナップ・ロング宛
  • 1928年12月28日 ウィルフレッド・ブランチ・タルマン宛
  • 1928年12月 バーナード・オースティン・ドワイアー宛

 最終的に、書簡そのものが小説として世に出ることになったこの夢について、ラヴクラフトは何とかきちんとした作品に仕上げようと数年に渡って苦心したものらしく、これらの手紙の中で繰り返しそのことを話題にしている。
 とりわけラヴクラフトが大喜びしたのは、ローマ時代のスペインに、実際にポンペローナという町が存在したと知ったことだ。彼が夢の中でその名を聞き知った(と、彼は主張している)ポンペロは、ひょっとすると現在のスペイン北東部にあるパンプローナなのではないだろうか−−。ラヴクラフトの夢の源泉となったのは、ヴェスヴィオ火山の噴火で灰の下に消えたポンペイの町だったのかも知れないが、ここに来てポンペロの事件は俄かに迫真性を増したのである。
 ラヴクラフト自身は、この夢を小説に仕上げるにあたり、共和制ローマ時代の出来事としてそのまま書くつもりはなかった。彼はその構想について、前述のウィルフレッド・ブランチ・タルマンに宛てた書簡中で説明している。以下がその概要である。

 物語は、ピレネー山脈の山腹からからローマ時代の錆びた像−−ローマ軍団の象徴である銀の鷲の像が発見され、とある町の博物館に保管されるところから幕を開ける。
 その後、感受性と想像力の豊かな旅行者が、博物館で見かけたこの像に何故か心惹かれてしまう。博物館の学芸員ドン・ハイメ・エルナンデスモルトーニョから、この像が発見されたあたりは地元の住民たちの間で不穏な噂のもとになっている場所だと聞いた彼は無分別にも山の中に分け入り、廃虚となった町の遺跡を発見する。旅行者の急報で駆け付けた考古学者たち−−ミグエル・ロンゴ・イ・サンタヤとフランシスコ・ベルナピオ・ドティナたちにより、山崩れによって滅びたらしい町の発掘が始まるのだが、何故か家々の様子から崩壊が突然襲ってきた−−ポンペイ、あるいはマリー・セレスト号にまつわる伝説のように−−様子なのにも関わらず、人間の屍体が一切見つからないのだった。考古学者たちからバスク族の住民たちの一部が、山中でおぞましい魔宴に耽っていることを聞き知った旅行者は、共同調査を申し出るのだが−−。

 ところで。先に掲げた「古えの民」の要約を読んで、この〈小説〉そのものを読んだことはなくとも、何かしらの既視感を覚えた人はいないだろうか。
 クトゥルー神話読者なら、是非ともそうあって欲しいものと思う。何故なら、ポンペロにまつわる夢の物語は、ほぼそっくりそのままとあるクトゥルー神話小説作品に出てくるからなのだ。
 フランク・ベルナップ・ロングの"The Horror from the Hills"−−青心社『クトゥルー』11巻には「恐怖の山」のタイトルで、国書刊行会『新編 真ク・リトル・リトル神話大系』1巻には「夜歩く石像」のタイトルで、それぞれ収録されている作品がそれだ。
 象を思わせる姿の吸血の神、チャウグナル・ファウグンとその兄弟たちにまつわるこの神話作品において、ルキウス・カエリウス・ルフスにまつわる夢は、その言動がどこかラヴクラフトを思わせる半伝説的な犯罪調査官、ロジャー・リトルの見た夢として登場する。チャウグナル・ファウグンの従者チュン・ガによれば、この夢は預言者たちのもとに送られたポンペロの滅びの有り様なのだという。
 盗作? いや、そうではない。
 ラヴクラフトは、彼が直接顔を合わせての親交をもった、数少ないプロ作家の一人である(注3)この年若い友人に宛てた1929年2月20日付の手紙の中で、「一昨年の十月に手紙でお伝えした、ローマ時代のスペインの夢を使ってもらっても構いません。おそらく私はこれを作品に仕上げられないと思うので、あの手紙が見つかれば、好きに使っていただいて結構です」と書いている。プロットを譲り渡したのだ。かくして、ロングの「恐怖の山」が"Weird Tales"1931年2月号と3月号に分割掲載されることになったのである。
 ロングによって設定が上書きされたのだとすれば、ラヴクラフトが'Magnum Innominandum(大無名者)'と呼んだのは、チャウグナル・ファウグンということになるだろう。

注3 クラーク・アシュトン・スミスオーガスト・ウィリアム・ダーレス、ロバート・ブロックら、クトゥルー神話成立に深く関わる友人たちの多くは、ラヴクラフトと実際に会ったことはない。

クトゥルー〈11〉 (暗黒神話大系シリーズ)

クトゥルー〈11〉 (暗黒神話大系シリーズ)

  • 作者: ロバート・W.ロウンデズ,ロバートブロック,ヘンリイカットナー,フランク・ベルナップロング,リチャード・F.シーライト,大瀧啓裕,Robert W. Lowndes,Robert Bloch,Henry Kuttner,Frank Belknap Long,Richard F. Searight
  • 出版社/メーカー: 青心社
  • 発売日: 1998/03/01
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新編 真ク・リトル・リトル神話大系〈1〉

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