〈ヨス=トラゴン〉設定についての覚書(中篇)

 朝松先生のクトゥルー神話×ナチス連作『邪神帝国』が、このほど創土社クトゥルー・ミュトス・ファイルズにて復刊されました。これを記念して、同人誌『夏冬至点』2011年冬号に掲載した拙稿「〈ヨス=トラゴン〉覚書」を、一部誤字などを修正した上で全文公開させていただきます。


3・〈ヨス=トラゴン〉のカルト

 旧支配者によって崇拝されたという〈ヨス=トラゴン〉。それを裏付ける作品のひとつが、1993年12月に刊行された『崑央の女王』(角川書店)である。この作品は、中華人民共和国黒竜江省のジャムス(佳木斯)市の近郊で発掘された、殷代に遡る少女のミイラを巡るバイオ・ホラーもので、ミイラの正体は黄帝(旧神と思われる)によって「崑央」と呼ばれる地下世界に封印された祝融族(『山海経』に言及される獣面人身の種族で、炎帝の子孫とも言われる)の女王とされた。外見上の違いはあるが、この祝融族はC・A・スミスの「七つの呪い」などの作品で言及される、ヴァルーシアの蛇人間と同系統の爬虫人類と考えられ、逆三角形の顔を持つなどの描写は〈ヨス=トラゴンの仮面〉のそれを彷彿とさせる。この「崑央のクイーン」が、死の間際に〈ヨス=トラゴン〉の名前を叫んでいるので、古代の崑央においてこの神が崇拝されていたのだろう。
 また、朝松氏が原作を提供したコミック『マジカルブルー』(リイド社)では、黒魔術結社〈O∵D∵T∵(東方黎明団)〉が、八岐大蛇と同一視した上で〈ヨス=トラゴン〉を崇拝している。〈O∵D∵T∵〉もまた、朝松作品にしばしば登場する黒魔術結社で、その来歴については前述の『魔犬召喚』と『屍食回廊』(2000年11月、角川春樹事務所)に詳しい。

崑央(クン・ヤン)の女王 (角川ホラー文庫)

崑央(クン・ヤン)の女王 (角川ホラー文庫)

山海経 (平凡社ライブラリー)

山海経 (平凡社ライブラリー)

マジカルブルー 1 (SPコミックス)

マジカルブルー 1 (SPコミックス)

屍食回廊 (ハルキ文庫)

屍食回廊 (ハルキ文庫)

〈O∵D∵T∵〉の創設者は、後に日本の神道系カルト太元教の二代目教祖となる霊能者・騎西十三郎とされている。*1
 京都帝大を卒業後、1898年に渡米した十三郎は、講演のためシカゴを訪れていたクリンゲン・メルゲルスハイムと1903年6月に邂逅し、彼の指導を受けて魔術結社〈O∵D∵T∵〉を結成した。十三郎は1911年に帰国する際に結社の首領を辞しているが、20世紀末に改めて日本支部が設立されたことが『魔犬召喚』において語られている。〈O∵D∵T∵〉における〈ヨス=トラゴン〉崇拝は、メルゲルスハイムの直系ということになるだろう。
 なお、メルゲルスハイムには『アッツォウスの虚言』という著書がある。1911年、メルゲルスハイムがチューリッヒで行った儀式において、大悪魔アッツォウスから受け取った黙示を書き著したというもので、『魔犬召喚』の主人公の一人であるオカルト・ライターの村松克時はかつて、出版社の編集者時代にこの本の日本語版を刊行したことになっている。作品中での言及はないが、この『アッツォウスの虚言』に〈ヨス=トラゴン〉についての言及が含まれていた可能性は高い。何故かといえば、『アッツォウスの虚言』の元ネタはアレイスター・クロウリーの『法の書』で、村松克時のモデルは『法の書』日本語版の刊行に携わった朝松健(本名は松井克弘)自身に他ならないからだ。そして、クロウリーの弟子であるケネス・グラントは『法の書』とH・P・ラヴクラフト作品の固有名詞の類似について指摘しており、朝松氏はそのことを記事として紹介している。*2

法の書

法の書

 他に、〈ヨス=トラゴン〉の崇拝者についての言及がある朝松作品として、『魔障』(角川春樹事務所)に収録されている「追ってくる」がある。ユダヤの魔術師パレスティナのハラハーは、8人の弟子から毒を盛られた際、死の間際に自らの命を「九大地獄の王子ヨス=トラゴン」に捧げて「恐怖を与えるもの」と呼ばれる処刑室を作ったとされる。ハラハーは、9人目の弟子ケレスリアのイサクに処刑室の利用方法を教え、彼を裏切った8人の弟子たちにおぞましい復讐を行ったのである。
 この作品は『小説コットン』1991年8月号に掲載された同名作品を大幅に書き直したものということで、残念ながら筆者は元の作品を読んでいないため、「九大地獄の王子」という記述が存在していたかどうかは未確認である。
 この「九大地獄」は前述の『クシャの幻影』にも現れる言葉だが、それが何を意味しているかについては作中の記述からはわからない。
「八大地獄」という仏教用語は存在するが、アトランティスユダヤ教の文脈に現れるものが仏教由来の言葉とは考えにくい。
 ここで言う「九大地獄」は、ダンテ・アリギエーリが『神曲』地獄篇で示した地獄の最下層、「裏切り者の地獄」とも呼ばれる第九圏を意味するものと筆者は解釈する。「ジュデッカ」と呼ばれる第九圏の第四円では、神に叛旗を翻した魔王ルチフェロが氷の中に囚われており、ルチフェロの口にはイスカリオテのユダやブルートゥスら裏切りの罪を犯した者たちが噛み締められ、永遠の苦痛に晒されているのである。裏切り者の8人の弟子たちに対する復讐のために、魔術師が命を捧げた〈ヨス=トラゴン〉の支配領域として、これ以上に相応しい場所はないだろう。
 また、『秘神界─歴史編─』に収録されている「聖ジェームズ病院」では、クトゥグァや〈ヨス=トラゴン〉と契約した神秘主義者マイケル・L*3が、これらの邪神の力を用いて水神クタアトと契約した黒魔術師フランク・"ペスト"・ジンメルと対決する。

魔障 (ハルキ・ホラー文庫)

魔障 (ハルキ・ホラー文庫)

秘神界―歴史編 (創元推理文庫)

秘神界―歴史編 (創元推理文庫)

4・〈ヨス=トラゴン〉と真言立川流

 朝松健は、作家としてのデビュー作である『逆宇宙ハンターズ』以来、平安時代の実在の邪教である真言立川流を、日本におけるクトゥルー神話カルトという前提で作中に取り上げてきた。『逆宇宙ハンターズ』の敵役は苦止縷得宗という真言立川流の流れを汲むカルトであり、この時点ではまだ名称上の元ネタでしかなかったように思われるが、『肝盗村鬼譚』(1996年、角川書店)をはじめとするその後の作品をむ限りでは、明確にクトゥルー神話と結び付けられている。
『肝盗村鬼譚』は、北海道の南西、函館の近くにある肝盗村という寒村を舞台とする、朝松版「インスマスを覆う影」とも言うべき作品で、この村の菩提寺である萬角寺は、真言立川流の流れを汲む根本義真言宗の本山とされている。
 萬角寺の本尊は誉主都羅権明王──すなわち、ヨス=トラゴンそのものである。近隣の住民たちは、肝盗村の地下には悪神ヨス=トラが潜み、萬角寺のある夜鷹山の地下にはキモトリ(=ショゴス)という魔物が、沖合いにはウミストニ(人間の姿に化けることもできる〈古のもの〉の変種、あるいは独自のクリーチャー)が潜んでいると噂し、この村を忌み嫌っているということだ。

逆宇宙ハンターズ〈1〉魔教の幻影 (ソノラマ文庫)

逆宇宙ハンターズ〈1〉魔教の幻影 (ソノラマ文庫)

肝盗村鬼譚 (角川ホラー文庫)

肝盗村鬼譚 (角川ホラー文庫)

 誉主都羅権明王の名はまた、「千葉県夜刀浦市」という架空の地方都市を共通の舞台とする朝松健編纂のアンソロジー『秘神』(1999年、アスペクト)にも言及される。夜刀浦は弾圧された真言立川流の僧侶たちが逃れた場所で、呪法によって封印されていた地下空洞には、黒曜石で作られた美男美女、獣の三面を備えた誉主都羅権明王の魔像が存在する。鹿戸龍見という名の行者の姿をとって現れた偶忌荒祝部毒命(=ナイアーラトテップ)の言葉を額面通りに受け取るならば、誉主都羅権明王とは荼吉尼天、飯綱天などの名前で呼ばれる魔王の呼び名のひとつであり、蟆雷悪幣兇鳥(=ビヤーキー)を従える神とされる。ビヤーキーは、従来のクトゥルー神話設定ではもっぱらハスターの奉仕種族とされているが、ヨス=トラゴンに仕える者たちも存在するようだ。
 この夜刀浦を舞台とする朝松氏の新作『弧の増殖』(2011年2月、エンターブレイン)では、異端の国学者・流基葡鱗の主張として「遥か神代、星辰界からこの夜刀浦に「神」が降り立った。その「神」こそが真の天地の主なのだが、それを認めたがらぬ高天原の神々はこの「神」を力ずくで封印した。封印された痕は今も見遥ヶ丘に尾崎巨石として残っている」という設定が開示され、ヨス=トラゴンの封印地が現在の千葉県夜刀浦市なのだと示唆される。
 この作品では、ラヴクラフトの「闇に囁くもの」に登場する〈ユゴスよりのもの〉たちがヨス=トラゴンの崇拝者として描写され、この地に封印されている神の力でユゴスから〈生ける電磁波〉と呼ばれる情報生命体(?)、ィルェヰックを送り出そうと試みている。
 以上、駆け足でまとめてみはしたが、朝松作品における真言立川流の設定は非常に入り組んでいるため、設定周りの整理には今しばらくの時間が欲しいところだ。

弧の増殖 夜刀浦鬼譚

弧の増殖 夜刀浦鬼譚

*1:大本教の二代目教祖であり、『霊界物語』を著した出口王仁三郎がモデルと思われる。

*2:筆者は以前、『法の書』日本語版の解説中の日付の誤りを発見して国書刊行会に連絡したものの、今のところご反応をいただけていない。

*3:ヘンリー・カットナーのクトゥルー神話作品において活躍するオカルティスト、マイケル・リーだと思われる。

〈ヨス=トラゴン〉設定についての覚書(前篇)

 朝松先生のクトゥルー神話×ナチス連作『邪神帝国』が、このほど創土社クトゥルー・ミュトス・ファイルズにて復刊されました。これを記念して、同人誌『夏冬至点』2011年冬号に掲載した拙稿「〈ヨス=トラゴン〉覚書」を、一部誤字などを修正した上で全文公開させていただきます。

邪神帝国 (The Cthulhu Mythos Files3)

邪神帝国 (The Cthulhu Mythos Files3)

 日本を代表する怪奇小説家であると同時に(何しろ、既存作品の翻訳という形ではなく、海外から直接執筆依頼を受けている稀有な存在なのである)、編集者、アンソロジストとして日本におけるクトゥルー神話の発展に大いに寄与してきた朝松健。本稿は、彼の作品にしばしば登場するオリジナルの神性〈ヨス=トラゴン〉の設定を整理し、クトゥルー神話作品はもちろん、『クトゥルフ神話TRPG』における利用を促進しようという主旨の覚書である。
 H・P・ラヴクラフトの前期作品におけるクトゥルー神話的設定がそうであったように、朝松健にとって〈ヨス=トラゴン〉をはじめとする諸々の存在はあくまでも物語の従属物であり、確固たる実体を持つ記号−−キャラクターでは決してない。その意味では、本稿はきわめて無粋な試みであり、今後、発表されるであろう朝松作品における関連描写と必ずしも一致するものではない。とはいえ、千葉県夜刀浦市という魅力的なクトゥルー神話スポット同様、数十年に渡る「朝松作品」という素材の宝庫を活用しないままに放置するのは、記号の共有によるゆるやかな作品同士の連結という、クトゥルー神話最大の特徴である〈シェアード・ワード〉の精神にもとるというものだろう。
 なお、日本人作家によるオリジナルのクトゥルー神話の邪神といえば、栗本薫の『魔界水滸伝』に登場するグァルドゥルア=ル、古橋秀之の『斬魔大聖デモンベイン―機神胎動』やゲーム『機神飛翔デモンベイン』に登場するズアウィア(アレイスター・クロウリーに『法の書』を授けた守護天使エイワスの名前を逆読みしたもの)などが挙げられる。機会があれば、これらの神性についてもいずれ紹介してみたい。

機神飛翔デモンベイン DXパッケージ版

機神飛翔デモンベイン DXパッケージ版

1・出典

〈ヨス=トラゴン YOTH-TLAGGON〉という語は、朝松氏が全くのゼロからひねり出したものではない。ドイツ第三帝国クトゥルー神話の融合を試みた朝松氏の作品集『邪神帝国』(ハヤカワ文庫JA)巻末につけられた〈魔術的注釈〉において氏自らが解説しているように、H・P・ラヴクラフトが書簡の書き出しにおいて一度だけ言及した、謎めいた言葉を出典とする。
 この書簡は、ラヴクラフトが盟友C・A・スミス(彼はスミスのことをクラーカシュ=トンと呼んだ)に宛てた1932年4月4日付けの手紙で、アーカムハウスから刊行されたラヴクラフト書簡集"Selected Letters IV"の37ページに掲載されている。朝松氏が国書刊行会の編集者として手がけた『定本ラヴクラフト全集』の第9巻、第10巻は、この"Selected Letters"に収録されている書簡の一部を翻訳・掲載したものだが、残念ながら問題の書簡は割愛されてしまっている。
 ここに、該当箇所をそのまま掲載しよう。

Yoth-Tlaggon−−at the Crimson Spring
Hour of the Amorphous Reflection


 この'Spring'をどのように日本語訳するべきかどうかについては諸説あり、筆者は「春」、H・P・ラヴクラフト研究家の竹岡啓は「泉」説をそれぞれ採っていた。残念ながら、今となっては確かめる術もないので、ここでは「春」として翻訳させていただきたい。2013年2月現在の筆者の好みに準拠し、ここでは改めて「泉」として翻訳する。

無定形の反射の刻、深紅の泉のヨス=トラゴン


 ラヴクラフトの書簡には、時折、こういった謎めいた言葉や、例えば「ショゴスの産卵期」といったような彼の作品群−−即ち、クトゥルー神話にまつわる重要な記述が唐突に差し挟まれることが多く、油断も隙もない。
 なお、前述の〈魔術的注釈〉には、もうひとつの典拠として、1960年にルチオ・ダミアーニ師父が発表した『クシャの幻影』が挙げられている。

アトランティスが未だクシャと呼ばれ、レムリアがシャレイラリィと呼ばれた太古において、ヨス=トラゴンは九大地獄と定義された」


 朝松氏は上記の引用を掲げ、加えて先の書簡が公開されたのは1970年代であり、ダミアーニ師父がその内容を知っていたはずはないと付け加えることで〈ヨス=トラゴン〉という語にもっともらしさを与えている。しかし、このルチオ・ダミアーニ師父というのは朝松氏がこしらえた架空の人物であり、その名前はイタリアのホラー映画監督であるルチオ・フルチとダミアーノ・ダミアーニの合成ということなので(筆者が朝松氏に直接確認した)、実際の出典はラヴクラフト書簡のみである。

Selected Letters: 1929-1931 (Selected Letters, 1929-1931)

Selected Letters: 1929-1931 (Selected Letters, 1929-1931)

2・〈ヨス=トラゴン〉の外見

〈ヨス=トラゴン〉の名は、朝松氏の様々な作品中に登場しているが、多くの場合それは名前のみの言及であって、「クトゥルーの呼び声」のクトゥルーよろしく(あれについては眷族説も根強い)、直接、姿を現したことはない。
 但し、その真の姿を目撃したらしいキャラクターが少なくとも二人存在する。ナチス国家社会主義ドイツ労働者党)の副総統ルドルフ・ヘスと、ドイツ人魔術師クリンゲン・メルゲルスハイムである。ルドルフ・ヘスは、親衛隊国家長官ハインリヒ・ヒムラーと共にドイツ第三帝国のオカルト伝説を担う実在人物で、いわゆる闘争時代以来のヒトラーの腹心でありながら、1940年に飛行機でイギリスへと渡り、英独両国を困惑させた事件が有名だ。*1
 クリンゲン・メルゲルスハイムは朝松作品にしばしば登場するドイツ人魔術師である。*2
S-Fマガジン』(早川書房)の1994年6月号に掲載された「ヨス=トラゴンの仮面」(『邪神帝国』に収録)は、メルゲルスハイムが隠し持っていた〈ヨス=トラゴンの仮面〉を、ヘスとヒムラーが奪い合うという物語だ。
 白金で作られた〈ヨス=トラゴンの仮面〉は、細長い逆三角形の顔に、先が鋭く尖った耳と顎、吊り上った目を備え、額からイソギンチャクのような触手を生やした異形の種族の顔を象った仮面である。この仮面を被ったヘスは、「アトランティスが未だクシャと呼ばれ、レムリアがシャレイラリィと呼ばれていた時代……地球の主が人類ではなかった時代」の映像を目撃し、やがて旧支配者の崇拝していた神、〈ヨス=トラゴン〉の真の姿を目の当たりにする。この時、ヘスが切れ切れに口走った内容が、〈ヨス=トラゴン〉の外見についての唯一の情報源となっている。以下に箇条書きでまとめてみよう。

  • 巨大である
  • 触手を持っている
  • 数知れない眼を瞬かせている
  • ナメクジのような光沢がある
  • 鱗と皺だらけである
  • 知的な光を眼に湛えている


 メルゲルスハイムによれば、「ヨス=トラゴンに会った人間は必ず失神する。そして……再び気づいた時には、聖者か狂人になっている」ということだ。なお、1988年2月に刊行された朝松健『魔犬召喚』(角川春樹事務所)では、メルゲルスハイムはナチスのオカルト・パージで獄死していることになっているが、こちらの「ヨス=トラゴンの仮面」では事件後に姿を晦ましているので、表向きは獄死したことになったと解釈すべきだろう。
 ちなみに、〈ヨス=トラゴンの仮面〉が象る顔は、かつてこの神を崇拝していた旧支配者−−今日のクトゥルー神話シーンにおいては邪神群の総称として用いられることが多いが、この場合は、人類以前に地球を支配していた種族と解釈するべきだろう−−のものと思われるが、同時にまたメルゲルスハイム自身の顔に酷似しているとも説明されている。

魔犬召喚 (ハルキ文庫)

魔犬召喚 (ハルキ文庫)

*1:このヘス渡英の裏には、「ノストラダムスの大予言」を利用した英国側の情報工作があったという怪しげな噂がまことしやかに囁かれており、アレイスター・クロウリーイアン・フレミングの名前が仕掛け人として挙がっている。

*2:アレイスター・クロウリーの弟子であり、魔術結社O.T.O(東方聖堂騎士団)の後継者となったカール・ゲルマーがモデルと思われる。その後、朝松先生より「ゲルマーではなくフランツ・バードンがモデル」とのご指摘をいただいた。

『イース』シリーズとクトゥルー神話

 去る12月13日、星海社さんから刊行されたアンソロジーイース トリビュート』に参加させていただきました。早々に参加が決まった芝村裕吏氏、海法紀光氏、そして同じく星海社で『那由多の軌跡』のノベライズを予定している土屋つかさ氏からの多重推薦を受けてという、なかなかのプレッシャーではありましたが、とりあえず評判を眺めている感じでは上々のようでほっと胸をなでおろしております。
 森瀬が担当したのは、エレナ最強伝説(あるいはエレナ最強説)の辻褄合わせを試みた『フェルガナの誓い』の外伝的短編、「フェルガナ断章」。そして、『イース』シリーズ全般の世界観を偽史として解体・再構築した上で『トリビュート』収録作の位置づけを試みた「名もなき編者」としての解説の執筆です。これまでにも、日本ファルコム作品の攻略本やファンブックのお仕事で好き放題に書きまくってきた文章の延長ではありますが、作業時間は短いなりにかなり気合を入れて書きましたので、お楽しみいただければと思います。『イース』第1作の発売から四半世紀、各機種版(PS2版を除く)をひととおりやりこんできたマニアのこだわりをご覧じろ。

イース トリビュート (星海社FICTIONS)

イース トリビュート (星海社FICTIONS)

イース―フェルガナの誓い公式パーフェクトガイド

イース―フェルガナの誓い公式パーフェクトガイド

こちらのストーリーダイジェストも森瀬の仕事です。

 さて。『イース トリビュート』企画でタイアップされている4Gamer.netさんで紹介された折に、記事中で「クトゥルー神話関連の書籍も数多く手がけてきた氏だけに,アドルが旧支配者と対決する展開もひょっとするとワンチャンあるで,これ……。」といったコメントをいただきました。
 実際の話、日本ファルコム作品とクトゥルー神話の接点は、これまでに幾つか存在します。
 まずは、『ソーサリアン』の基本シナリオのひとつ「氷の洞窟」。バックストーリーに邪教の経典として『キタブ・アル・アジフ』が関わっているほか、登場モンスターのキラースネークは「イグという名の蛇の神の部下」とされています。
 もうひとつ、『英雄伝説 空の軌跡 the 3rd』の「隠者の庭園」と呼ばれる空間の書棚には、『無明祭祀書』『蒼の断章』といった、クトゥルー神話の魔書群を意識したものと思しき書物がいくつか見つかります。
イース』シリーズについていえば、『ワンダラーズ フロム イース』が『フェルガナの誓い』としてリメイクされた際、「海から来た災厄」「邪神」とされるガルバランの描写が多少、クトゥルー神話っぽくはあったものの、直接的な関連性はなかったように思われます−−が。実はひとつだけ、クトゥルー神話との接続点を持つ作品が存在します。
 ファミ通ゲーム文庫から1997年9月に刊行された『イース外伝 血と砂の聖戦』という小説がそれです。

 著者である大場惑氏は、『イース』から『イース6』までのシリーズ作品のノベライズを一通り手がけた作家さん。2012年現在の設定とは大分食い違ってしまっている部分もありますが(『イースIII』で、レドモントの町がメドー海の沿岸にあったりするなど)、古くからの『イース』フリークには今でも大場ノベライズ版の愛読者が多いように思います。僕も「フェルガナ断章」執筆にあたり、大いに参考にさせていただきました。
 大場氏が手掛けた小説版イースには、ゲーム本編では描かれていない外伝が何冊かあって、『血と砂の聖戦』もそのひとつ。そして、この作品でアドルが戦う相手が、「生贄と血を好む殺戮の神」アル・ファザッド−−うむ、どこかで聞いたことがあるネーミングですね−−なのです。
血と砂の聖戦』の物語は、時系列的には『イースV 失われた砂の都ケフィン』の後。物語は、その大部分をヒスラム教国であるパルサ帝国に支配されているアルビリア半島の入り口、ロムン帝国領のドモスクスから始まります。(ダマスカスと言えば、アブドゥル・アルハザードが『アル・アジフ』を執筆した場所ですね)
 唯一神アヅラーを奉ずるヒスラム教徒が聖戦によってパルサ帝国の実権を握る以前、アルビリア半島では女神アル・アテナ、邪神アル・ファザッドなどの土着神が信仰されていたという設定。
 おそらくは名称を参考にしたという以上のクトゥルー神話との関連性はありませんが、物語をひっかける「フック」としては十分過ぎますね。『トリビュート』の短編ネタをひねくっている時に、ちょっとだけ怪しいことを考えたのは確かです。
 ただ、ゲーム本編に登場するならばともかく、大場惑氏オリジナルの設定なので僕がいじくりまわすのは流石に気が引けましたので、今回は見送りました。いずれ、大場氏にご挨拶する機会がありましたら、その時には……。

イース外伝―血と砂の聖戦 (ファミ通ゲーム文庫)

イース外伝―血と砂の聖戦 (ファミ通ゲーム文庫)

サラ金から再び参りました

 かつて、日本最初のH・P・ラヴクラフト作品集である『暗黒の秘儀』、そして1巻と4巻のみが刊行された荒俣宏氏の編集になる『ラヴクラフト全集』、のみならずC・A・スミスの作品集なども刊行したことから、いっときは「日本のアーカム・ハウス」と呼ばれたこともある創土社が、再びクトゥルー神話の世界に帰還した!
「Cthulhu Mythos Files」レーベルの創刊は、古くからのクトゥルー神話小説読みの間では、それなりのインパクトがある出来事でした。しかも、その1冊目たるや伝奇バイオレンス小説の旗手であると同時に、無類のH・P・ラヴクラフト好きとして知られる菊地秀行氏の完全新作!
 その後、断片的に流れてきた「サラ金もの」という情報は、その未知の新作が、菊地氏が過去に手掛けたとある作品との関連性をほのめかしていました。井上雅彦氏が監修する書きおろしホラーアンソロジー異形コレクション』の12冊目、神をテーマとする『GOD』の巻に掲載された、「サラ金より参りました」という短編作品です。
 まずはこの「サラ金より参りました」の内容をかいつまんで紹介しましょう。

 主人公はCDW金融に勤務する強面の取り立て屋、堺。今日の取り立て先は「理光学園」なる新興宗教団体。入金が滞った本部に飛び込めば誰もいない。夜逃げかと思ったものの、奇妙なことに信者や幹部たちの服だけが残されていた。時を同じくしてCDW金融に訪れた女性の借金目的は、あり得ないほど長大な水道管の購入だった。
 二つの出来事は、堺をCDW金融の暗部へと否応なく引きずり込んでいく。果たして、CDW金融とは何なのか。そして、決して人前に姿を現さず、青い灰を用いて邪神とも渡り合ってみせる謎めいた社長の正体は何者なのか−−。


GOD―異形コレクション〈12〉 (広済堂文庫)

GOD―異形コレクション〈12〉 (広済堂文庫)

 この「サラ金より参りました」は、後に新潮社刊行の作品集『幽幻街』にも収録されているので、こちらで読んだという方もいらっしゃるかも知れません。とりあえず、上のあらすじだけで何かしらピンときた方は、重度のラヴクラフト・マニアとお見受けします。
 さて、『邪神金融道』の特設サイトの方を開いてみますと、このようなあらすじが紹介されています。

社員の誰ひとり顔を知らない謎の社長が経営するCDW金融。そこで働く「おれ」がラリエー浮上協会に融資した5000億の回収を命じられ、神々の争いに巻き込まれていく。


 こちらの方もCDW金融。「サラ金より〜」では「堺」という姓を与えられていた主人公が、こちらでは無名の「おれ」になっているという変更点はありましたが、話の筋立てはさておき根っこのコンセプトは同じです。『邪神金融道』は、「サラ金より〜」の続編というよりもリメイクと見なす方が良いのかも知れません。
 さて、「菊地秀行」と聞くと、超絶的な異能力や、奇ッ怪な武器を装備した美男美女たちが時にくんずほぐれつしたりしながら迫力のバトルを繰り広げる伝奇バイオレンス活劇を思い出す人が多いように思います。『邪神金融道』はというと、妖糸を繰り出す美しき魔人も、恐るべき技量をもつ魔界医師も登場しません。舞台の方も、魔震によって「外」と隔絶された魔界都市〈新宿〉ではなく、長期化する不況に喘ぐ現実とさほど変わりない東京都。そこで繰り広げられるのも、多額の債務を抱えた人々と、彼らを脅しなだめすかして一円でも多く取り立てようとする借金取りのドラマです。
 しかしながら、確かにこれこそは間違いなく菊地秀行作品!
魔界都市」シリーズや「吸血鬼ハンターD」シリーズはじめ、様々な菊地作品に独特の色合い、あるいは空気感のようなものを与えている世界の底に広がる風景−−登場人物の体臭や反吐の匂いすらも漂ってきそうな猥雑な暴力とエロスが剥き出しになった、菊地秀行という作家の黒々として濃密なエキスをそのままぶちまけたところへ、お馴染みの魚臭さをブレンドしたかのような−−こればかりは「まあ、読んでみてくださいよ」としか言いようのない、混沌たる文章世界が広がっているのです。
 なお、借金の取り立て屋としてクトゥルー神話に連なる邪神たちにまつわる事件へと巻き込まれていく「おれ」のキャラクター造形がまた突き抜けて絶妙なのです。この「おれ」は、目の前でどのような異常な事件が起きようとも全く動じないばかりか、なぜかクトゥルー神話にやたらと詳しい後輩社員の必死の説明にも関わらず、頑なに超常現象−−というかクトゥルー神話的事象を認めようとしません。その理由がまた、特撮・SF誌『宇宙船』のライターから小説家へと転身した菊地秀行氏の面目躍如とも言うべき斜め上の事情によるものであり、この人は『魔界都市ブルース』の作者だけれど、スラップスティッククトゥルー・ホラー(いやむしろ「ホラ」か?)の走りである『妖神グルメ』の作者でもあったのだ−−なんて当たり前の話を今更ながらに思い起こさせてくれるのでした。

 さて、整理券を入手することもできたので、今日は神保町の書泉グランデで開催される「菊地秀行クトゥルー神話」に赴いて、『妖神グルメ』をもう1冊買って菊地先生のサインをいただいてくる所存。お待たせしてしまっていることについて、頭を下げてこなければ!(>,,,<)


邪神金融道 (The Cthulhu Mythos Files)

邪神金融道 (The Cthulhu Mythos Files)

イカモノ料理人、三たび現る

 来る12月22日、菊地秀行氏のクトゥルー神話怪作『妖神グルメ』が、日本人作家によるクトゥルー神話小説レーベル「Cthulhu Mythos Files」の2冊目として創土社さんから発売されます。
 神保町の書泉ブックマートでは20日の内に店頭で先行販売が始まり、本日開催の復活記念イベント「菊地秀行とクトゥルー神話」のサイン会整理券が購入者に配布されました。「Cthulhu Mythos Files」1冊目の『邪神金融道』がA5版だったのに対し、『妖神グルメ』はノベルサイズの新書版。店頭で探される際には、どうかお見落としのなきよう。


 そう、復活。『妖神グルメ』はこれまでに2度、刊行されました。最初は今は亡き朝日ソノラマ社のヤングアダルトレーベル、ソノラマ文庫から1984年6月に刊行され、増刷を重ね続けておりました。その後、同文庫の兄弟レーベルであるソノラマ文庫ネクストの方から2000年2月に改めて刊行される運びとなります−−が。残念ながら短命に終わったこのレーベルと共に店頭から間もなく消えてしまい、その後、長きにわたって入手困難な本となっていました。
 以下、拙編著『クトゥルー神話ダークナビゲーション』より、『妖神グルメ』の紹介テキストを引用します。

 夢みるままに復活の刻を待ちいたる邪神クトゥルーは、永劫の時の中ですっかり腹を減らしていた。餓えた神を満足させるために、世界最狂のゲテモノ料理人・内原富手夫に邪神崇拝者達の白羽の矢が立った。
 かくして、世界に数多ある邪教教団と、邪神復活を阻止せんとする国家権力が、内原を求めて激しい攻防を繰り返すことになる。やがて事態は想像を越えた展開へと突入。邪神を満足させる究極の食材とは何なのか?
 H・P・ラヴクラフトを信奉し、彼がその生涯を過ごしたプロヴィデンスにも足を運んだ菊地秀行の最初の本格クトゥルー神話作品として知られる本作は、一見やりたい放題に見えてその実正統的な神話的要素の解釈や、ダゴン原子力空母などの迫力ある戦闘シーンなど、読み所の多い作品である。


 1980年代のクトゥルー神話シーンにおいて、きわめて重要な役割を果たしたエポック・メイキングな作品でありつつも、菊地秀行作品全般に共通する「突き抜けたシリアスはギャグになりうるし、突き抜けたギャグはシリアスになりうる」というあの空気感が濃厚に漂うその作風には、ついに菊地氏その人を除き、フォロワーが現れませんでした−−少なくともクトゥルー神話ジャンルにおいては。
 影響という点で言えば、ニトロプラスから2003年に発売されたAVG斬魔大聖デモンベイン』のシナリオを手掛けた鋼屋ジン氏は、『妖神グルメ』におけるダゴンVSカールビンソンに魂を揺さぶられ、それが『デモンベイン』における量産型ダゴンの押し寄せる大海戦シーンに繋がっていったのだと語っています。
 クトゥルー神話小説読みの間ではあまりにも有名な作品なので、今更『妖神グルメ』についてくだくだしく申し上げることもございますまい。せいぜい、実業之日本社の「魔界都市ガイド鬼録」の1冊として、内原富手夫が再登場する『妖神グルメ』の後日談ともいうべき『邪神迷宮』が発売されている−−ぐらいのものでしょうが、そんなことは皆様先刻ご承知のことと思います。
 よって、本日の更新では大変遅ればせながらではありますが、「Cthulhu Mythos Files」の幕開けを飾った『邪神金融道』についてご紹介しようと思います。

妖神グルメ (The Cthulhu Mythos Files2)

妖神グルメ (The Cthulhu Mythos Files2)

クトゥルー神話ダークナビゲーション

クトゥルー神話ダークナビゲーション

邪神迷宮 魔界都市ガイド鬼録 (実業之日本社文庫)

邪神迷宮 魔界都市ガイド鬼録 (実業之日本社文庫)

古き洞穴の地の底をめざして

 ピーター・ジャクソンは今回、J・R・R・トールキンの原作『ホビットの冒険』を三部作の映画として解体・再構築するにあたり、「理由」というものを重視したように思える。
 あらゆるシーンにおいて、原作では曖昧にしか説明されていなかった「何故、これはこうなのか」という部分が、視聴者にはっきりとわかるように示されている。
 例えば、有名な3匹のトロルのシーン。エリアドールの北、エテン高地に住みついているトロルが何故、街道のあたりまで南下してきていたのか。そして、エレボールのドワーフ(『ロード・オブ・ザ・リング』のギムリも含まれる)がエルフを毛嫌いしているのは何故なのか。
 ジャクソンは、原作の本筋であるドワーフたちの探索行の背景でひそやかに進行していた、通奏低音とも言うべきドル・グルドゥアを巡る物語をクローズアップし、賢人会議の面々や茶のラダガストを登場させることで、中つ国の西部に垂れこめる暗雲を描いて見せる。前述のトロル出現、そしてオークたちの蠢動も、その流れの中に位置づけられる。
 そしてそれは、ドワーフたちの探索を阻むトラブルであるだけでなく、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作の物語を誘うプレリュードともなっている。
 映画『ホビット』において巧みに演出される「理由」付けはこれだけにとどまらないが、これ以上申し上げるのはネタバレになってしまうだろう。
 なお、灰色のガンダルフが何故、ほとんど有無を言わさぬ強引な手段をとってまで、平和に暮らしていたビルボ・バギンズを冒険の旅へと駆り立てたのか−−この点について、原作『ホビットの冒険』と今回の映画、そして『指輪物語』は明瞭な説明を与えなかった。ただし、トールキン自身がその理由を説明しようと書いた文章が存在し(『王の帰還』掲載の追補として執筆されたものの、その長さからカットされた)、『新版ホビット』(原書房)に日本語訳されているので、ご興味がある方はそちらをあたると良いだろう。

ホビット〈上〉―ゆきてかえりし物語

ホビット〈上〉―ゆきてかえりし物語

ホビット〈下〉―ゆきてかえりし物語

ホビット〈下〉―ゆきてかえりし物語

 今回の映画もさることながら、『ホビット』絡みで幾つかの短い文章仕事をいただいたのが起爆剤となって、久しぶりに僕の中のトールキン熱がぐいぐいとあがってきている。
 何年も遅らせてしまった中つ国本に、いいかげんとりかからなければ!
(さぼってるわけではなく、"THE HISTORY OF MIDDLE-EARTH"の参照作業に時間がかかりまくっている)

寒き霧まく山なみをこえ

「弾はピストルから発射されたものだ。あの距離からピストルで人を撃ち殺すとはかなりの名手だ。手が少しでも震えれば命中しないだろうから、冷静で、暴力に慣れているが、ギリギリまで撃てなかったのは道義心が強い人物だ。つまり探すべきは軍隊に入っていたことがあり、鋼の心を……」


 BBCのTVドラマ『シャーロック』において、ベネディクト・カンバーバッチ演じる現代のシャーロック・ホームズが、アフガン帰りのジョン・ワトソン(だと、彼は知らなかった人物)の人柄について推理するシーンのセリフだ。
 ワトソンを演じるのはマーティン・フリーマン。英国出身の俳優にして、コメディアン。そして今回、『ホビット 思いがけない冒険』において、主役の座を射止めた人物である。
 さて、彼が演じるビルボ・バギンズとはどのような人物だろうか?
 映画『ホビット』におけるビルボのキャラクターは、『ロード・オブ・ザ・リング(以下、LotR)』におけるフロド・バギンズに比べると、大分複雑になっている。
 冷静で、暴力に慣れているが、ギリギリまで暴力に訴えない強い道義心を持ち、鋼の心を持つ男。ホームズのワトソン評は、同時にまたこの冒険を通して証明されていく、ビルボ・バギンズというキャラクターそのものを的確に言い表わした言葉でもある。
 アフガン−−のような戦場には、まさにこれから赴くところだ。平穏を愛しながら冒険に憧れ、臆病でありながら死をも恐れず、真面目くさっていながら愛嬌がある。

 ビルボのそうした性格付けは、『LotR』の中ではフロドとサムワイズ(サム)、メリアドク(メリー)、ペレグリンピピン)の4人に分散されていた「ホビット」という種族の性格が、ホビットとしては単独でドワーフたちの旅に同行する彼の一身に集められているということが大きいのだろう。ビルボとは、フロドたちの性格のオリジン(原型)でもあるわけだ。そして、彼のそうした多面性は、彼を疑いの眼で見つめる海千山千のドワーフたち、ひいては視聴者である我々の目の前で万華鏡のようにくるくると変化し、ガンダルフを驚嘆させてやまないという「ホビット」という種族の魅力をまんべんなく伝えてくれるのだ。後年、冥王サウロンの指輪の影響を受けた彼は、自らの状態を「二つに引き裂かれたようだ」と表現したが、その萌芽はそもそもの最初から彼の内に潜んでいたのかも知れない。

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