マーベル・ユニバースの邪神

 つい先日、シュマ=ゴラスが"Mighty Avengers #2"に登場したという話題がTwitter上で流れました。
 シュマ=ゴラスは、マーベル・コミックス社(アメコミの老舗)の作品中に登場する、クトゥルー神話をモチーフとする邪神です。マーベル・ユニバース最強クラスの魔術ヒーローであるドクター・ストレンジものを中心にいくつかの作品に登場していましたが、『MARVEL SUPER HEROES』(1995年)をはじめ、カプコン格闘ゲームに登場したことで主に知られます。

 カプコン表記では「シュマゴラス」ですけれど、英語表記はShuma-Gorathなので、僕は「シュマ=ゴラス」表記に統一しています。

「シュマ=ゴラスは2回しか登場したことがない」とよく言われます。改めて確認してみると、実はこのシュマ=ゴラス、あちこちの作品でちょくちょく顔−−いや、触手の先っぽをつき出しているのです。
 拙著『ゲームシナリオのためのクトゥルー』では、このシュマ=ゴラスとDCコミックス作品に登場するムナガラーについて、「アメコミ出身の邪神」というくくりで項目を設け、主要エピソードのあらすじを紹介しました。

 宿敵ドクター・ストレンジとの2度にわたる激しい戦い、蛮人コナンの時代におけるシュマ=ゴラス復活の危機、そして1940年代のヒーローチーム「インベーダーズ」とシュマ=ゴラスの戦い−−だけど、それが全てではありません。
 ストレンジに次いでシュマ=ゴラスと縁のあるヒーローとして、ファンタスティック・フォーが挙げられます。
 例えば、"Fantastic Four"314号(1988年)。ちょうどドクターとシュマ=ゴラスの2度目の対決の真っ最中の別事件で、空を焔が走り、全世界の人々のSAN値直葬の余波が描かれています。

 こちらは"Fantastic Four Annual"23号(1990年)。マーベル宇宙の創世(時々設定変わるそうな)が描かれる'BEYOND AND BACK'において、銀河間領域の深淵に潜む「EVIL ONES」たちの中に、シュマ=ゴラスの姿があります。(ちなみに、シュマの背後にいる青い体のアレについては、現在、資料蒐集中。いずれ紹介します)

 もちろん、ファンタスティック・フォーの面々がシュマ=ゴラスと直接絡んだこともあります。今日は、そのエピソードについて紹介します。

クトゥルー神話の予習テキスト

 出題範囲などについて解説されるらしい『クトゥルフ神話検定 公式テキスト』が、8月24日に新紀元社から発売されるようですが、この機会にみっちりと勉強しておきたいという方は、『クトゥルー神話全書』『H・P・ラヴクラフト大事典』『ゲームシナリオのためのクトゥルー神話事典』の3冊を教材としてお勧めします。

クトゥルー神話全書 (キイ・ライブラリー)

クトゥルー神話全書 (キイ・ライブラリー)

H・P・ラヴクラフト大事典

H・P・ラヴクラフト大事典

 少なくとも、この3冊を隅々まで精読しておけば、検定に限らずH・P・ラヴクラフトクトゥルー神話について、ひととおりの知識は手に入ることと思います。
 中でも、6月末に発売されました『ゲームシナリオのためのクトゥルー神話事典』は、『図解 クトゥルフ神話』の頃から、基本的にはクトゥルー神話の「世界観」をいかに面白く紹介するかを最優先し、基本的に「解説書」というよりも一続きの物語、内部視点のガイドブックとして本を作って来た森瀬が、その180度逆を目指した渾身の一冊。自分的には、「プロ仕様の設定解体書」のつもりです。『クトゥルフ神話TRPG』の関連商品ではありません。あくまでも、創作者向けのアンチョコ本『ゲームシナリオのための○○事典』シリーズの一冊ですので、くれぐれもご注意ください!
 内容的には、特定存在の初出と、主要登場作品ごとの個別設定を時に時系列、時に内容別に並べていき、クトゥルー神話という巨大なデータベースがいかにして形成されてきたかを把握することができる内容になっております。無論、しつこいぐらいに出典作品名を明示しておりますので、今回は逆引き事典としての利用も可能です。「もうちょっと詳しく知りたい」と思ったらすぐに元作品にあたることが出来ます。
 第一章は、以前配布された『ゲームシナリオのためのクトゥルー神話物語ミニ事典』の増補改訂的な内容で、神話存在別、事項別の事典的解説は第二章以降ですが、今回、構成をかなり工夫しておりまして、例えば兄弟神であるニョグタとシアエガをこんな具合に取り上げています。

 また、第2章〜第4章末には、ラヴクラフト作成、スミス作成、そしてリン・カーターの作品群から森瀬が独自作成した「神々の系図」を掲載しております。
 無論、これらの事典・解説書のみならず、この機会に『ラヴクラフト全集』(東京創元社)、『クトゥルー』(青心社)、『新編 真ク・リトル・リトル神話大系』などに収められている第一世代、第二世代作家たちの作品についても、是非とも接していただければ嬉しいです。

 さて。受験するのは当然として、立場上、満点が取れないとさすがにカッコつかないなあと思っていた森瀬ですが、大変都合が良いことに色々ありまして受験資格を喪失することになりました。このほど、朱鷺田氏の方から正式に依頼があり、出題周りのちょっとした部分についてお手伝いさせていただくことになった次第です。
 受験生の皆さま、改めましてよろしくお願い申し上げます。

「神話検定」を歓迎する理由

 既にトークイベントやTwitterなどであれこれ言及しております、まさかの「第1回 クトゥルフ神話検定」の受付が始まっています。試験日は12月1日。3級、2級と初級・中級の試験がありまして、併願も可能とか。

第1回 クトゥルフ神話検定
http://www.kentei-uketsuke.com/cthulhu/introduction.html

 企画・運営は日販(日本出版販売株式会社)さん。日販さんはこれまでにサブカル系の検定試験を数多く行ってきたようで、ここ最近のあれこれの動向から「クトゥルー神話の検定もそろそろ……」というお話になった模様です。そこで、拙著『図解 クトゥルフ神話』など、何冊かの関連書を刊行している新紀元社さんに協力依頼が飛び、朱鷺田祐介氏が監修・出題を、『ナイトランド』編集部が公式テキスト制作を−−という流れになったと聞いています。
 申し込みページでは3級・2級の練習問題も公開されておりますので、とりあえずどの程度のグレードの知識を要求されているのかについては、こちらで確認することができます。
クトゥルー神話研究家」の看板を掲げ、関連書の著者でもある森瀬繚としては、以下の理由からこの「クトゥルフ神話検定」を歓迎したいと思います。

  1. 「検定のための勉強」は、出典であるところのクトゥルー神話作品(小説、漫画、映画、アニメ、ゲーム、何でもよし!)と直接触れる動機となる。
  2. 「勉強」の過程での、基礎知識の底上げ。この機会に、「ラヴクラフトは引きこもりだった」「クトゥルー神話って言い出したのはダーレスで、ラヴクラフトは無関係」だのの黴臭い言説が風化してくれるのではないかという期待感。

 むろん、大変だなあと思える面もあります。クトゥルー神話というのは、それこそ作家ごとですらなく、作品ごとに設定が変動するもやっとしたシロモノで、「これ」と定まった設定を設問にするのが難しい。ホントに難しい。例えば、「クトゥルー神話の創造者」にまつわる設問があったりします。これ、正解はH・P・ラヴクラフトだけではなく、関連作品を発表した人間全員になるはずなのですね。
 特定設定について設問にする場合も、特定作品(しかも、稀に版によって違っていたりする)を掲げた上で、「この作品においてこれこれをしたのは何か」みたいな設問にしないと、一つの回答と結びつけることができません。記述式の試験だと、採点者が漏れなく死にます。幸い、今回の検定は選択式のようなので、そうした危惧はありません。

『南極文書』再編集小冊子配布決定!

 H・P・ラヴクラフトの命日合わせで、この3月15日(金)に阿佐ヶ谷ロフトにてトークイベント「邪神忌」が開催されます。

阿佐ヶ谷ロフトA 「邪神忌」予約ページ

 出演は僕こと森瀬繚と、ライター&ゲームデザイナーの朱鷺田祐介氏といういつものコンビ。これに加えて、かねてH・P・ラヴクラフトへの傾倒を暗に示唆されている新城カズマ氏、そして『未完少女ラヴクラフト』(スマッシュ文庫)においてロバート・ブロック風の幻想悪夢譚を紡いでみせた黒史郎氏をゲストにお招きしております。

tokyo404

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未完少女ラヴクラフト (スマッシュ文庫)

未完少女ラヴクラフト (スマッシュ文庫)

 さて、新城カズマ氏と言いますと森瀬的にはネットゲーム90「蓬莱学園の冒険!」のグランドマスター柳川房彦氏であるわけですが、この度、イベント参加者向けの配布物として同ゲームの初期断片としてプレイヤーに配布された「南極文書」の再編集小冊子(A5版12P)をご用意しました。無論、権利者許諾済! この場を借りて、関係者の皆様に深く感謝いたします。

 新城カズマ氏、あるいは柳川房彦氏が2013年3月現在手掛けた唯一のクトゥルー神話小説とも言うべき貴重な資料。日本語訳は『90年度宇津帆島全誌』『蓬莱学園の復刻!』に掲載されておりますが、英語原文は収録されておりません。
 この『南極文書』は、1930年に行われた蓬莱大学(後の蓬莱学園研究部)南太平洋考古学研究部、ミスカトニック大学地質学部合同の南極探検隊の唯一の生存者が書いた手記を、研究部のH・P・ラヴクラフト教授が編纂・編集した体裁の短めの小説です。
 HPL「狂気の山脈にて」、ポー「アーサー・ゴードン・ピムの冒険」、ヴェルヌ「氷のスフィンクス」の影響を色濃く受けた怪奇幻想掌編でありつつ、ゲームの大きなヒントでもありました。(例の暗号はそのまま残してあります、もちろん)
 ちなみに、時期的に「狂気の山脈にて」で描かれるミスカトニック大学の南極探検隊に先行しているので、『図解 クトゥルフ神話』などの拙著では先行の探検隊という形で拾っていたりします。参考文献にちゃんと『全誌』を入れた、はず。

図解 クトゥルフ神話 (F‐Files No.002)

図解 クトゥルフ神話 (F‐Files No.002)

 ご興味のあります方は、是非とも「邪神忌」にご来場を。

〈ヨス=トラゴン〉設定についての覚書(後篇)

5・CoC向け〈ヨス=トラゴン〉試用版

 朝松作品の設定を元に、『クトゥルフ神話TRPG』での使用を前提とした、ヨス=トラゴンの設定を暫定的にまとめてみる。ご活用いただければ幸いだ。

クトゥルフ神話TRPG (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

クトゥルフ神話TRPG (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

●ヨス=トラゴン(Yoth-Tlaggon):グレート・オールド・ワン


 ヨス=トラゴンは、鱗と皴に覆われた巨大な肉塊のような体に、5、6本の触手を備えた姿をしている。全身をナメクジのような光沢を放つ粘液に覆われ、顔に当たる部分には無数の眼があって、そのひとつひとつが知的な光を湛えている。千葉県夜刀浦市、北海道肝盗村、中国の黒龍江省ジャムス市などの地下に潜んでいると伝えられているが、あるいは三角形の特殊な回廊を用いて、これらの土地を自在に行き来することができるのかもしれない。


カルト:真言立川流の流れを汲む一部の異端宗門や、20世紀初頭にアメリカで結成された黒魔術結社〈O∵D∵T∵(東方黎明団)〉がヨス=トラゴンのカルトとして知られている。人間以外ではミ=ゴや〈古のもの〉、ヘビ人間などの一部がヨス=トラゴンを崇拝している。魔術師の間では「九大地獄の王子」の称号と共に知られ、復讐者に力を貸し与える神としてヨス=トラゴンと契約する者もいる。


そのほかの特徴:〈ヨス=トラゴンの仮面〉なるアーティファクトを用いることで、ヨス=トラゴンと接触することができる。ドイツ人の魔術師クリンゲン・メルゲルスハイムの所有物であったこの仮面は、1939年に南極で破壊されたと言われているが、その後誰かが破片から復元しているかもしれない。直接、間接を問わずにヨス=トラゴンを目撃した探索者は、自動的に1D4ラウンド間気絶する。同時に〈幸運〉ロールを行ない、失敗すると正気度ポイントが現在の値の半分(端数切り捨て)になる。成功しても1D10ポイントの正気度ポイントを喪失する。どちらの場合も、失った正気度ポイントに等しいだけの〈クトゥルフ神話〉技能を獲得する。


攻撃:直接遭遇した場合、ヨス=トラゴンは探索者の知識を取り込むため触手で捕まえようとする。戦闘ラウンドの最後に、ヨス=トラゴンは触手を伸ばして犠牲者を捕らえようとする。触手による〈組みつき〉が成功すると、犠牲者は次のラウンドから毎ラウンドINTとPOWを1点ずつ失う。これは犠牲者のINTとPOWの両方が0になるか、ヨス=トラゴンの触手から逃れるまで続く。また、触手による〈組みつき〉が命中するとヨス=トラゴンの粘液が犠牲者を包み込むため、犠牲者は窒息状態になる。ヨス=トラゴンの触手から逃れても、犠牲者には粘液がこびりついている。この粘液をぬぐい取るには[STR×5]ロールに成功しなければならない。また、ヨス=トラゴンが開けた場所で攻撃を受けた場合、すぐさま1D6体のビヤーキーが飛来して探索者を妨害するのみならず、探索者を捕まえてはヨス=トラゴンの触手に捕らえさせようとする。


ヨス=トラゴン 九大地獄の王子
STR:40 CON:80 SIZ:120
INT:80 POW:80 DEX:該当せず
移動:0(回廊を通じて別の土地に瞬間移動する) 耐久力:100
ダメージ・ボーナス:なし
武器:触手 40% ダメージは〈組みつき〉と窒息
知識吸収 組みつかれていれば自動 ダメージは1INTと1POWを喪失
装甲:なし。ただし、全身を覆う粘液により物理的な攻撃は最小限のダメージしか与えられない。耐久力が0に達すると、ヨス=トラゴンは撤退し別の拠点へと瞬間移動する
呪文:《ビヤーキーの召喚/従属》、その他キーパーの望む呪文全て。
正気度喪失:ヨス=トラゴンを見た場合〈幸運〉ロールを行ない、失敗すると正気度ポイントが現在の値の半分(端数切り捨て)になる。成功しても1D10ポイントの正気度ポイントを喪失する。

〈ヨス=トラゴン〉設定についての覚書(中篇)

 朝松先生のクトゥルー神話×ナチス連作『邪神帝国』が、このほど創土社クトゥルー・ミュトス・ファイルズにて復刊されました。これを記念して、同人誌『夏冬至点』2011年冬号に掲載した拙稿「〈ヨス=トラゴン〉覚書」を、一部誤字などを修正した上で全文公開させていただきます。


3・〈ヨス=トラゴン〉のカルト

 旧支配者によって崇拝されたという〈ヨス=トラゴン〉。それを裏付ける作品のひとつが、1993年12月に刊行された『崑央の女王』(角川書店)である。この作品は、中華人民共和国黒竜江省のジャムス(佳木斯)市の近郊で発掘された、殷代に遡る少女のミイラを巡るバイオ・ホラーもので、ミイラの正体は黄帝(旧神と思われる)によって「崑央」と呼ばれる地下世界に封印された祝融族(『山海経』に言及される獣面人身の種族で、炎帝の子孫とも言われる)の女王とされた。外見上の違いはあるが、この祝融族はC・A・スミスの「七つの呪い」などの作品で言及される、ヴァルーシアの蛇人間と同系統の爬虫人類と考えられ、逆三角形の顔を持つなどの描写は〈ヨス=トラゴンの仮面〉のそれを彷彿とさせる。この「崑央のクイーン」が、死の間際に〈ヨス=トラゴン〉の名前を叫んでいるので、古代の崑央においてこの神が崇拝されていたのだろう。
 また、朝松氏が原作を提供したコミック『マジカルブルー』(リイド社)では、黒魔術結社〈O∵D∵T∵(東方黎明団)〉が、八岐大蛇と同一視した上で〈ヨス=トラゴン〉を崇拝している。〈O∵D∵T∵〉もまた、朝松作品にしばしば登場する黒魔術結社で、その来歴については前述の『魔犬召喚』と『屍食回廊』(2000年11月、角川春樹事務所)に詳しい。

崑央(クン・ヤン)の女王 (角川ホラー文庫)

崑央(クン・ヤン)の女王 (角川ホラー文庫)

山海経 (平凡社ライブラリー)

山海経 (平凡社ライブラリー)

マジカルブルー 1 (SPコミックス)

マジカルブルー 1 (SPコミックス)

屍食回廊 (ハルキ文庫)

屍食回廊 (ハルキ文庫)

〈O∵D∵T∵〉の創設者は、後に日本の神道系カルト太元教の二代目教祖となる霊能者・騎西十三郎とされている。*1
 京都帝大を卒業後、1898年に渡米した十三郎は、講演のためシカゴを訪れていたクリンゲン・メルゲルスハイムと1903年6月に邂逅し、彼の指導を受けて魔術結社〈O∵D∵T∵〉を結成した。十三郎は1911年に帰国する際に結社の首領を辞しているが、20世紀末に改めて日本支部が設立されたことが『魔犬召喚』において語られている。〈O∵D∵T∵〉における〈ヨス=トラゴン〉崇拝は、メルゲルスハイムの直系ということになるだろう。
 なお、メルゲルスハイムには『アッツォウスの虚言』という著書がある。1911年、メルゲルスハイムがチューリッヒで行った儀式において、大悪魔アッツォウスから受け取った黙示を書き著したというもので、『魔犬召喚』の主人公の一人であるオカルト・ライターの村松克時はかつて、出版社の編集者時代にこの本の日本語版を刊行したことになっている。作品中での言及はないが、この『アッツォウスの虚言』に〈ヨス=トラゴン〉についての言及が含まれていた可能性は高い。何故かといえば、『アッツォウスの虚言』の元ネタはアレイスター・クロウリーの『法の書』で、村松克時のモデルは『法の書』日本語版の刊行に携わった朝松健(本名は松井克弘)自身に他ならないからだ。そして、クロウリーの弟子であるケネス・グラントは『法の書』とH・P・ラヴクラフト作品の固有名詞の類似について指摘しており、朝松氏はそのことを記事として紹介している。*2

法の書

法の書

 他に、〈ヨス=トラゴン〉の崇拝者についての言及がある朝松作品として、『魔障』(角川春樹事務所)に収録されている「追ってくる」がある。ユダヤの魔術師パレスティナのハラハーは、8人の弟子から毒を盛られた際、死の間際に自らの命を「九大地獄の王子ヨス=トラゴン」に捧げて「恐怖を与えるもの」と呼ばれる処刑室を作ったとされる。ハラハーは、9人目の弟子ケレスリアのイサクに処刑室の利用方法を教え、彼を裏切った8人の弟子たちにおぞましい復讐を行ったのである。
 この作品は『小説コットン』1991年8月号に掲載された同名作品を大幅に書き直したものということで、残念ながら筆者は元の作品を読んでいないため、「九大地獄の王子」という記述が存在していたかどうかは未確認である。
 この「九大地獄」は前述の『クシャの幻影』にも現れる言葉だが、それが何を意味しているかについては作中の記述からはわからない。
「八大地獄」という仏教用語は存在するが、アトランティスユダヤ教の文脈に現れるものが仏教由来の言葉とは考えにくい。
 ここで言う「九大地獄」は、ダンテ・アリギエーリが『神曲』地獄篇で示した地獄の最下層、「裏切り者の地獄」とも呼ばれる第九圏を意味するものと筆者は解釈する。「ジュデッカ」と呼ばれる第九圏の第四円では、神に叛旗を翻した魔王ルチフェロが氷の中に囚われており、ルチフェロの口にはイスカリオテのユダやブルートゥスら裏切りの罪を犯した者たちが噛み締められ、永遠の苦痛に晒されているのである。裏切り者の8人の弟子たちに対する復讐のために、魔術師が命を捧げた〈ヨス=トラゴン〉の支配領域として、これ以上に相応しい場所はないだろう。
 また、『秘神界─歴史編─』に収録されている「聖ジェームズ病院」では、クトゥグァや〈ヨス=トラゴン〉と契約した神秘主義者マイケル・L*3が、これらの邪神の力を用いて水神クタアトと契約した黒魔術師フランク・"ペスト"・ジンメルと対決する。

魔障 (ハルキ・ホラー文庫)

魔障 (ハルキ・ホラー文庫)

秘神界―歴史編 (創元推理文庫)

秘神界―歴史編 (創元推理文庫)

4・〈ヨス=トラゴン〉と真言立川流

 朝松健は、作家としてのデビュー作である『逆宇宙ハンターズ』以来、平安時代の実在の邪教である真言立川流を、日本におけるクトゥルー神話カルトという前提で作中に取り上げてきた。『逆宇宙ハンターズ』の敵役は苦止縷得宗という真言立川流の流れを汲むカルトであり、この時点ではまだ名称上の元ネタでしかなかったように思われるが、『肝盗村鬼譚』(1996年、角川書店)をはじめとするその後の作品をむ限りでは、明確にクトゥルー神話と結び付けられている。
『肝盗村鬼譚』は、北海道の南西、函館の近くにある肝盗村という寒村を舞台とする、朝松版「インスマスを覆う影」とも言うべき作品で、この村の菩提寺である萬角寺は、真言立川流の流れを汲む根本義真言宗の本山とされている。
 萬角寺の本尊は誉主都羅権明王──すなわち、ヨス=トラゴンそのものである。近隣の住民たちは、肝盗村の地下には悪神ヨス=トラが潜み、萬角寺のある夜鷹山の地下にはキモトリ(=ショゴス)という魔物が、沖合いにはウミストニ(人間の姿に化けることもできる〈古のもの〉の変種、あるいは独自のクリーチャー)が潜んでいると噂し、この村を忌み嫌っているということだ。

逆宇宙ハンターズ〈1〉魔教の幻影 (ソノラマ文庫)

逆宇宙ハンターズ〈1〉魔教の幻影 (ソノラマ文庫)

肝盗村鬼譚 (角川ホラー文庫)

肝盗村鬼譚 (角川ホラー文庫)

 誉主都羅権明王の名はまた、「千葉県夜刀浦市」という架空の地方都市を共通の舞台とする朝松健編纂のアンソロジー『秘神』(1999年、アスペクト)にも言及される。夜刀浦は弾圧された真言立川流の僧侶たちが逃れた場所で、呪法によって封印されていた地下空洞には、黒曜石で作られた美男美女、獣の三面を備えた誉主都羅権明王の魔像が存在する。鹿戸龍見という名の行者の姿をとって現れた偶忌荒祝部毒命(=ナイアーラトテップ)の言葉を額面通りに受け取るならば、誉主都羅権明王とは荼吉尼天、飯綱天などの名前で呼ばれる魔王の呼び名のひとつであり、蟆雷悪幣兇鳥(=ビヤーキー)を従える神とされる。ビヤーキーは、従来のクトゥルー神話設定ではもっぱらハスターの奉仕種族とされているが、ヨス=トラゴンに仕える者たちも存在するようだ。
 この夜刀浦を舞台とする朝松氏の新作『弧の増殖』(2011年2月、エンターブレイン)では、異端の国学者・流基葡鱗の主張として「遥か神代、星辰界からこの夜刀浦に「神」が降り立った。その「神」こそが真の天地の主なのだが、それを認めたがらぬ高天原の神々はこの「神」を力ずくで封印した。封印された痕は今も見遥ヶ丘に尾崎巨石として残っている」という設定が開示され、ヨス=トラゴンの封印地が現在の千葉県夜刀浦市なのだと示唆される。
 この作品では、ラヴクラフトの「闇に囁くもの」に登場する〈ユゴスよりのもの〉たちがヨス=トラゴンの崇拝者として描写され、この地に封印されている神の力でユゴスから〈生ける電磁波〉と呼ばれる情報生命体(?)、ィルェヰックを送り出そうと試みている。
 以上、駆け足でまとめてみはしたが、朝松作品における真言立川流の設定は非常に入り組んでいるため、設定周りの整理には今しばらくの時間が欲しいところだ。

弧の増殖 夜刀浦鬼譚

弧の増殖 夜刀浦鬼譚

*1:大本教の二代目教祖であり、『霊界物語』を著した出口王仁三郎がモデルと思われる。

*2:筆者は以前、『法の書』日本語版の解説中の日付の誤りを発見して国書刊行会に連絡したものの、今のところご反応をいただけていない。

*3:ヘンリー・カットナーのクトゥルー神話作品において活躍するオカルティスト、マイケル・リーだと思われる。

〈ヨス=トラゴン〉設定についての覚書(前篇)

 朝松先生のクトゥルー神話×ナチス連作『邪神帝国』が、このほど創土社クトゥルー・ミュトス・ファイルズにて復刊されました。これを記念して、同人誌『夏冬至点』2011年冬号に掲載した拙稿「〈ヨス=トラゴン〉覚書」を、一部誤字などを修正した上で全文公開させていただきます。

邪神帝国 (The Cthulhu Mythos Files3)

邪神帝国 (The Cthulhu Mythos Files3)

 日本を代表する怪奇小説家であると同時に(何しろ、既存作品の翻訳という形ではなく、海外から直接執筆依頼を受けている稀有な存在なのである)、編集者、アンソロジストとして日本におけるクトゥルー神話の発展に大いに寄与してきた朝松健。本稿は、彼の作品にしばしば登場するオリジナルの神性〈ヨス=トラゴン〉の設定を整理し、クトゥルー神話作品はもちろん、『クトゥルフ神話TRPG』における利用を促進しようという主旨の覚書である。
 H・P・ラヴクラフトの前期作品におけるクトゥルー神話的設定がそうであったように、朝松健にとって〈ヨス=トラゴン〉をはじめとする諸々の存在はあくまでも物語の従属物であり、確固たる実体を持つ記号−−キャラクターでは決してない。その意味では、本稿はきわめて無粋な試みであり、今後、発表されるであろう朝松作品における関連描写と必ずしも一致するものではない。とはいえ、千葉県夜刀浦市という魅力的なクトゥルー神話スポット同様、数十年に渡る「朝松作品」という素材の宝庫を活用しないままに放置するのは、記号の共有によるゆるやかな作品同士の連結という、クトゥルー神話最大の特徴である〈シェアード・ワード〉の精神にもとるというものだろう。
 なお、日本人作家によるオリジナルのクトゥルー神話の邪神といえば、栗本薫の『魔界水滸伝』に登場するグァルドゥルア=ル、古橋秀之の『斬魔大聖デモンベイン―機神胎動』やゲーム『機神飛翔デモンベイン』に登場するズアウィア(アレイスター・クロウリーに『法の書』を授けた守護天使エイワスの名前を逆読みしたもの)などが挙げられる。機会があれば、これらの神性についてもいずれ紹介してみたい。

機神飛翔デモンベイン DXパッケージ版

機神飛翔デモンベイン DXパッケージ版

1・出典

〈ヨス=トラゴン YOTH-TLAGGON〉という語は、朝松氏が全くのゼロからひねり出したものではない。ドイツ第三帝国クトゥルー神話の融合を試みた朝松氏の作品集『邪神帝国』(ハヤカワ文庫JA)巻末につけられた〈魔術的注釈〉において氏自らが解説しているように、H・P・ラヴクラフトが書簡の書き出しにおいて一度だけ言及した、謎めいた言葉を出典とする。
 この書簡は、ラヴクラフトが盟友C・A・スミス(彼はスミスのことをクラーカシュ=トンと呼んだ)に宛てた1932年4月4日付けの手紙で、アーカムハウスから刊行されたラヴクラフト書簡集"Selected Letters IV"の37ページに掲載されている。朝松氏が国書刊行会の編集者として手がけた『定本ラヴクラフト全集』の第9巻、第10巻は、この"Selected Letters"に収録されている書簡の一部を翻訳・掲載したものだが、残念ながら問題の書簡は割愛されてしまっている。
 ここに、該当箇所をそのまま掲載しよう。

Yoth-Tlaggon−−at the Crimson Spring
Hour of the Amorphous Reflection


 この'Spring'をどのように日本語訳するべきかどうかについては諸説あり、筆者は「春」、H・P・ラヴクラフト研究家の竹岡啓は「泉」説をそれぞれ採っていた。残念ながら、今となっては確かめる術もないので、ここでは「春」として翻訳させていただきたい。2013年2月現在の筆者の好みに準拠し、ここでは改めて「泉」として翻訳する。

無定形の反射の刻、深紅の泉のヨス=トラゴン


 ラヴクラフトの書簡には、時折、こういった謎めいた言葉や、例えば「ショゴスの産卵期」といったような彼の作品群−−即ち、クトゥルー神話にまつわる重要な記述が唐突に差し挟まれることが多く、油断も隙もない。
 なお、前述の〈魔術的注釈〉には、もうひとつの典拠として、1960年にルチオ・ダミアーニ師父が発表した『クシャの幻影』が挙げられている。

アトランティスが未だクシャと呼ばれ、レムリアがシャレイラリィと呼ばれた太古において、ヨス=トラゴンは九大地獄と定義された」


 朝松氏は上記の引用を掲げ、加えて先の書簡が公開されたのは1970年代であり、ダミアーニ師父がその内容を知っていたはずはないと付け加えることで〈ヨス=トラゴン〉という語にもっともらしさを与えている。しかし、このルチオ・ダミアーニ師父というのは朝松氏がこしらえた架空の人物であり、その名前はイタリアのホラー映画監督であるルチオ・フルチとダミアーノ・ダミアーニの合成ということなので(筆者が朝松氏に直接確認した)、実際の出典はラヴクラフト書簡のみである。

Selected Letters: 1929-1931 (Selected Letters, 1929-1931)

Selected Letters: 1929-1931 (Selected Letters, 1929-1931)

2・〈ヨス=トラゴン〉の外見

〈ヨス=トラゴン〉の名は、朝松氏の様々な作品中に登場しているが、多くの場合それは名前のみの言及であって、「クトゥルーの呼び声」のクトゥルーよろしく(あれについては眷族説も根強い)、直接、姿を現したことはない。
 但し、その真の姿を目撃したらしいキャラクターが少なくとも二人存在する。ナチス国家社会主義ドイツ労働者党)の副総統ルドルフ・ヘスと、ドイツ人魔術師クリンゲン・メルゲルスハイムである。ルドルフ・ヘスは、親衛隊国家長官ハインリヒ・ヒムラーと共にドイツ第三帝国のオカルト伝説を担う実在人物で、いわゆる闘争時代以来のヒトラーの腹心でありながら、1940年に飛行機でイギリスへと渡り、英独両国を困惑させた事件が有名だ。*1
 クリンゲン・メルゲルスハイムは朝松作品にしばしば登場するドイツ人魔術師である。*2
S-Fマガジン』(早川書房)の1994年6月号に掲載された「ヨス=トラゴンの仮面」(『邪神帝国』に収録)は、メルゲルスハイムが隠し持っていた〈ヨス=トラゴンの仮面〉を、ヘスとヒムラーが奪い合うという物語だ。
 白金で作られた〈ヨス=トラゴンの仮面〉は、細長い逆三角形の顔に、先が鋭く尖った耳と顎、吊り上った目を備え、額からイソギンチャクのような触手を生やした異形の種族の顔を象った仮面である。この仮面を被ったヘスは、「アトランティスが未だクシャと呼ばれ、レムリアがシャレイラリィと呼ばれていた時代……地球の主が人類ではなかった時代」の映像を目撃し、やがて旧支配者の崇拝していた神、〈ヨス=トラゴン〉の真の姿を目の当たりにする。この時、ヘスが切れ切れに口走った内容が、〈ヨス=トラゴン〉の外見についての唯一の情報源となっている。以下に箇条書きでまとめてみよう。

  • 巨大である
  • 触手を持っている
  • 数知れない眼を瞬かせている
  • ナメクジのような光沢がある
  • 鱗と皺だらけである
  • 知的な光を眼に湛えている


 メルゲルスハイムによれば、「ヨス=トラゴンに会った人間は必ず失神する。そして……再び気づいた時には、聖者か狂人になっている」ということだ。なお、1988年2月に刊行された朝松健『魔犬召喚』(角川春樹事務所)では、メルゲルスハイムはナチスのオカルト・パージで獄死していることになっているが、こちらの「ヨス=トラゴンの仮面」では事件後に姿を晦ましているので、表向きは獄死したことになったと解釈すべきだろう。
 ちなみに、〈ヨス=トラゴンの仮面〉が象る顔は、かつてこの神を崇拝していた旧支配者−−今日のクトゥルー神話シーンにおいては邪神群の総称として用いられることが多いが、この場合は、人類以前に地球を支配していた種族と解釈するべきだろう−−のものと思われるが、同時にまたメルゲルスハイム自身の顔に酷似しているとも説明されている。

魔犬召喚 (ハルキ文庫)

魔犬召喚 (ハルキ文庫)

*1:このヘス渡英の裏には、「ノストラダムスの大予言」を利用した英国側の情報工作があったという怪しげな噂がまことしやかに囁かれており、アレイスター・クロウリーイアン・フレミングの名前が仕掛け人として挙がっている。

*2:アレイスター・クロウリーの弟子であり、魔術結社O.T.O(東方聖堂騎士団)の後継者となったカール・ゲルマーがモデルと思われる。その後、朝松先生より「ゲルマーではなくフランツ・バードンがモデル」とのご指摘をいただいた。