天使殺し
先の4月、ソフトバンククリエィテブから『「天使」がわかる』という本を刊行した。
昨年出した『「堕天使」がわかる』の対になっていると同時に、拡張版とも言える内容で、聖書外典偽典に加え、中世の聖史劇やタルムード、ユダヤ人世界に伝わる民話・伝説を積み上げ(例によってグスタフ・デイヴィッドスンの『天使辞典』やらマルコム・ゴドウィンの『天使の世界』といった定番研究書中に大量の誤謬を発見しつつ……自分、コラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』の間違い指摘だけで一冊本が書けると思います)、何とか形にすることができた。
調査、執筆過程で見つけたものの中から、幾つかネタをピックアップして紹介することにする。
エジプトに住んでいたユダヤ人たちを、約束の地カナンへと導いた預言者モーセ。映画『十戒』でも描かれた、紅海を真っ二つに割るスペクタクルシーンで有名な旧約聖書の「出エジプト記」によれば−−彼はある時、神の山と呼ばれるホレブ山で永遠の炎に燃え盛る柴を目撃し(ユダヤ教においては、炎の中に大天使ミカエルがいたのだと解釈される)、その場所で神からのお告げを受ける。ユダヤ人の間に広まっている伝説によれば、モーセはこの時、生き身のまま天国へと昇天し、律法を授けられたのだとされ、カバラの奥儀書であると同時にモーセ五書の註釈書でもある『ゾーハル(光輝の書)』中にもそのような記述がある。
さて、天国にはトップダウンの概念が存在しないようで、人間がやってくることなど知らされていない天の門番ケムエルは甚だ驚き、当然ながらモーセを押しとどめようとしたのだが、業を煮やしたモーセがどうしたかというと何と! ケムエルを殴り殺してしまうのだ。
このケムエルというのは決して木っ端役人ではなく、一万二千の破壊天使を配下に収める指揮官だったということだから、モーセのパワーたるや尋常ではない。
天使殺し、モーセの蛮勇はとどまるところを知らない。「出エジプト記」の第四章において、野営中のモーセに神が襲い掛かったという唐突な描写がある。
旧約聖書中において、神が直接人間に働きかけたという描写は後年、天使が代行したという解釈が行われるようになった。このシーンについても、アフとヘマーという二人組の天使がモーセに襲いかかり、彼を腰の下のあたりまで飲み込んでしまったという伝説に置き換えられることになったのだが、妻の機転で解放されたモーセは、怒り心頭でヘマーを殴り殺してしまうのだ。何というカバラ神拳。エジプト脱出の際に海を真っ二つに断ち割ったのは、神の奇跡ではなくモーセの拳だったのではないかと勘繰ってしまいたくなる。
老いてなお、モーセの拳は健在だった。ユダヤ教の伝統では、人間の寿命が迫ると、死の天使と呼ばれる死神めいた役職の天使が下界へと赴き、人間の魂を刈り取っていく。モーセの死が間近に迫ったとき、ユダヤ教におけるサタン、「毒の天使」サマエルが死の天使としてモーセのもとに現れるが、我が生涯に悔いありまくり!とばかりにモーセはサマエルに対して目潰しを敢行。天国へと追い返してしまったということだ。何という世紀末覇者っぷりだろう。
なお、蛇足ながら付け加えれば−−ケムエルを殴り殺したモーセは、続いて現れたハダルニエルやサンダルフォンを前にちびりそうなぐらいガクブルして雲の上から落っこちそうになったりもするので、彼の蛮勇はそう長続きするものでもなかったらしい。キレる団塊世代のようなものだろうか。
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追記:
このエントリで紹介した『「天使」がわかる』の増補改訂版にあたる『いちばん詳しい「天使」がわかる事典』が2014年2月20日に刊行予定です。
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