日本クトゥルー神学の黎明
『ゲームシナリオのためのクトゥルー神話事典』にはH・P・ラヴクラフトとC・A・スミスの書簡に基づく、クトゥルー神話の神々の系図を掲載しました。青心社の『クトゥルー』シリーズにも掲載されていますが、従来訳では「悪鬼のヨガシュ」と書かれていたところを「〈食屍鬼〉ヨガシュ」に改めるなど、翻訳自体は最新のものです。
この他にもう一点、リン・カーターの諸作品で示されている設定をソースに、独自に描き起こした神々の系図を掲載しています。カーターといえば、彼が1957年にファンジンに寄稿した「クトゥルー神話の神神」が日本でも定番的資料として長年重宝されてきました。
しかしながら、彼はその後数十年にわたってクトゥルー神話設定の補完・整理・体系化を続けていて、70年代以降の作品に見られる諸々の設定は「神神」と全く違うものになっていたりします。
いくつか例をあげれば、〈ユゴスよりの菌類〉がハスターに従属していたり、ヴルトゥームがクトゥルーの弟だったり、実に子だくさんのウボ=サスラがアザトースの双子の兄弟とされていたり−−。
ところで、今回の本には載せておりませんでしたが、ラヴクラフト、スミス、カーターのものとも更に異なるクトゥルー神話の神々の系図が存在します。
ご紹介しましょう。風見潤「クトゥルー・オペラ」シリーズの第1巻に掲載されている系図です。
(神名表記は『ゲームシナリオのためのクトゥルー神話事典』に準拠)
確かに、ラヴクラフト、スミスのものとは全く異なる系図ですが、これがなかなかよく考えられているのです。
クトゥルー神話紹介の黎明期において、数少ない「神話ガイド」であったフランシス・T・レイニー「クトゥルー神話小辞典」、リン・カーター「クトゥルー神話の神神」と比べてみると、双方の記述を参照しながら、うまくまとめた系図なのだとわかります。
以下、いくつかのポイントをピックアップして解説します。
- 「ハスター、シュブ=ニグラス、ナイアルラトホテプ、アザトース、ガタノソア、クトゥガがアブホース、ウボ=サスラの子供」
これは、アブホースとウボ=サスラがグレート・オールド・ワンの親とする「神神」に準拠。ダーレス&ラヴクラフト「暗黒の儀式」の記述に基づきます。
ヨグ=ソトース、ツァトーグァ、クトゥルーは宇宙からやってきたので、ウボ=サスラの子供たち(グレート・オールド・ワン)に含まれないというのもカーター「神神」設定です。アザトースの扱いが不明なのも本当。風見氏は子供たちに組み込んだようですが。
- 「バイアグーナとニョグタがナイアルラトホテプの子供」
ニョグタは呼び名のひとつがナイアルラトホテプと被っていることから、「神神」で「化身なのかも?」と書かれています。バイアグーナも同様。風見氏はとりあえず化身ではなく子供にした模様。
〈無貌のもの〉バイアグーナは、ロバート・ブロックの「無貌の神」「哄笑する食屍鬼」(共に1936年の作品)でちらりと言及される神性です。
このバイアグーナ、アメリカでは殆ど無視されていて(登場作品は一応存在します)、CoCでも拾われませんでした。80年代頃からの日本のクトゥルー神話小説読みには、「クトゥルー・オペラ」などの影響で知っている人が結構いるかも知れません。
個人的には、ブロックはバイアグーナという名称を、ナイアルラトホテプ(明らかにエジプト系の名前ですね)の「神名」としてこしらえたのではないか−−ということを考えていますが、如何でしょうか。書簡などを詳しく調べたわけではありませんので、今後の課題のひとつです。
- 「イタカ、ロイガー、ツァールがハスターの子供」
シュブ=ニグラスとハスターを夫婦にしたのもカーターの「神神」ですね。妻がいるからには子供もいるだろうということで、風の精カテゴリの神々を子供ということにしたのかも知れませんが、何気にカーターの「陳列室の恐怖(ゾス=オムモグ)」以降の作品でも、風の三神はシュブ=ニグラスとハスターの子供とされています。シンクロニシティ。
他に、ドナルド・タイスンの『ネクロノミコン アルハザードの放浪』では、グレート・オールド・ワンの七柱の帝たちというのがいて、別口の血縁関係が設定されていたりと、まあ色々であります。
書簡の中とはいえ、「地球人類の価値観とは無関係の、全く異質なもの」であるはずのクトゥルー神話の神々の間に、ラヴクラフトやスミスがこうした関係性を示したことについて、眉をひそめる向きもあることでしょう。
逆に言えば、ラヴクラフトにとっては、その程度のものでしかなかったという見方も可能です。(S・T・ヨシなどの論者の主張がそうですね。彼に言わせると神々と呼ばれるあれらのクリーチャーは神秘性とは無縁の、「異星人」ということになります)
付け加えれば、ヨグ=ソトースを概念的存在として明確に捉えたのも、レイニーの「小辞典」以降ではあります。
それはそれとして、このあたりの関係性を全て概念的、あるいは象徴的なものと解した上で神話作品を創ることはアリだと思うのです。「アザトースとは核融合のことだ!」と1970年代に言い切ってしまったブライアン・ラムレイは、実に面白いことを考える御仁でした。
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