他者のまなざしの中に存在する「幻想のケルト人」

 ソフトバンク文庫の『「ケルト神話」がわかる』が本日、店頭に並ぶ予定になっている。
 こんな本を出しておいて、今更何を言い出すのかという話もあるけれど、発売日ということでやはり書いておくことにしよう。本書の中でも幾度か繰り返した覚えがあるが、ケルト神話というのは大変に微妙な題材だ。理由は幾つもあるけれど、その中でも特に大きなものが、「いわゆるケルト神話」というのは、キリスト教伝来以前のアイルランドに口承で伝わっていた神話を、アイルランドで伝道を行っていた修道僧たちが書き留めたものであるという、その出自である。
 複数の部族が次々とアイルランドに入植、侵略してきたという筋立てから「来寇神話」などと呼ばれるアイルランドの神話は、修道僧たちに記録された時点でキリスト教化されており(何しろ、原典とも言える『侵略の書』にしてからが、キリスト教の神による天地創造と堕天使ルシフェルの反乱、そしてノアの時代の大洪水に幕を開けるのである)、当然のことながら、古代アイルランド人が語り伝えてきた本来の物語とは大きく変わってしまっていることだろう。
 しかしながら、そのこと自体は大した問題ではない。
 まずは、本書の前書きの末尾(P14)に掲げた以下の文面をお読みいただこう。

▼大陸のケルトと、島のケルト
 ケルト人とその文化について、「大陸のケルト」「島のケルト」という区分がよく用いられている。ヨーロッパ亜大陸全域に広まっていたのが前者。そして、大英帝国が位置するブリテン島(北方のスコットランドと、ブリタニアと呼ばれるイングランドウェールズからなる)と、その西方のアイルランドが後者である。
 従来、ローマ帝国が侵入する以前のブリテン島とアイルランドの先住民は、大陸から渡ってきたケルト人か、新石器時代に「大陸のケルト」からの文化的影響を受けた人々なのだと考えられてきた。しかし、最近になって可能となった遺伝子の分析や、考古学における新たな研究成果によって、「大陸のケルト」と「島のケルト」の間には、血縁的にも文化的にもつながりがないのではないかという疑問が示され、これまで「ケルト的」とひとまとめにされてきた事物について見直しがはじまっている。実際、ギリシア人やローマ人によるケルト人の記録には、ブリテン島もアイルランドも言及されていないのだ。
 本書では、従来の学説に基づいてブリテン島、アイルランドケルト文化圏のメインストリームとして扱っているが、このことを念頭に置いていただけると幸いである。こういうことが起きるからこそ、歴史というのは面白いのだ。

 ここで「従来の学説」と書いたのは、具体的に言うと18世紀のケルト復興運動から20世紀前半に至るまで信じられてきた伝統的な学説を示している。そう、「従来の」ではなく「伝統的な」と書くべきだったかも知れないと後悔の真っ最中であったりする。
 実際の話、海外における考古学・歴史学の最先端の現場では、1970年代頃から伝統的な「ケルト」についての否定的な議論が盛んに行われ、現在では「紀元前3世紀頃までにアイルランドブリテン島に大陸から移り住んだと言われてきた〈島のケルト〉なる民族は、実際には存在しなかった」(乱暴な要約だけど)という学説が主流になりつつあったりするのである。(日本ではまだ敷衍しているとは言い難い)
 それを言い出してしまうと、「ケルト神話についての本」そのものが根底からひっくり返ってしまうので、今回はとりあえず前書きの中で控えめにそのあたりについて触れておいて、あくまでも伝統的なケルト人−−言うなれば、他者のまなざしの中にのみ存在してきた「幻想のケルト人」についての記述にとどめることにした。だってさ、今更「ごめん、実はケルト神話なんてなかったんだ!」「な、なんだってー!」とか書き始めちゃうわけにもいかないじゃない?
 しかしながら、先日放送されたTBSの『日立 世界ふしぎ発見!「アイルランド 消えた魔法の民 ダーナ神族を追う」』のような恣意的な解釈に満ちた番組を観てしまうと、そうも言っていられなくなってくる。相変わらず死ぬほど忙しいのでどの程度のペースで続けられるかはわからないが、「ケルト神話」を巡るこのあたりの話題について日記に書いていこうと思う。