旧支配者? 古のもの?

うちのメイドは不定形』で、「前の御主人」について「グレート・オールド・ワン」のルビを振ったことについて、若干の混乱が起きてる様子。ご自分で調べていただきたいところではありますが、過去原稿を流用しつつ軽く触れておきましょう。

 ラヴクラフト作品における"Great Old One"の初出は「クトゥルーの呼び声」(1926年)。文庫版全集では「大いなる古き神々」の訳語が与えられています。大いなるクトゥルーは"Great Old One"の大祭司とされています。地球上の信者たちはクトゥルーの似姿を彫像で知っていても、神々がどのような姿をしているのかは知らないとされつつ、その少し先には"Great Old One"はクトゥルーの眷属なのだと読みとれなくもない記述があります。(『エンサイクロペディア・クトゥルフ』のダニエル・ハームズ氏はこの見解を採っているようです)。
 続いて、「ダンウィッチの怪」。(1928年)
「大いなるクトゥルーは"Great Old One"の縁者ではあるが、"Great Old One"をおぼろげに窺うことしかできない」「シュブ=ニグラスもまた"Great Old One"の悪臭を感じ取ることしかできないのだが、ヨグ=ソトースは"Great Old One"についてあらゆることを知っている」(大意)といった記述があります。
 これらの「アーカム物語群」において、"Great Old One"はクトゥルーやヨグ=ソトースが属する、或いは仕える神々の名前として用いられています。

 さて、「狂気の山脈にて」が書かれた1930年頃を境に、ラヴクラフト作品におけるクトゥルー神話関連設定は改めて見直され、整理され、変更されたようです。
「狂気の山脈にて」の"Great Old One"は、クトゥルーの眷属でも神々でもなく、十数億年前にまだ若い地球に飛来し、この地に定住した樽状の「古のもの」の呼び名として使用されます。
「古のもの」については、『クトゥルフ神話TRPGクトゥルフの呼び声)』を中心に"Elder Thing"という英語表記が使用されていますが、「狂気の山脈にて」では"Elder One"、"Great Old One"など、幾通りもの呼び方をされていました。「狂気の山脈にて」の同年にラヴクラフトが執筆した「インスマスを覆う影」では、「深きものども」の敵対者として"Old One"の名前が挙がっています。S・T・ヨシはじめ、この"Old One"を南極の樽状生物と考える向きもありますが、筆者は様々な状況証拠からオーガスト・W・ダーレスの創造した旧神のことだと確信しています。ラヴクラフトは、「インスマス」執筆の数ヶ月前にダーレスの「潜伏するもの」の原稿を読んでおりまして、この「潜伏するもの」が初出となる旧神は、"Great Old One"と呼ばれているのです。
 なお、今日的な"Great Old One"−−「旧支配者」としての用法は、フランシス・T・レイニーの『クトゥルー神話小辞典』(1943年、青心社『クトゥルー』に収録)によって定着したもののようです。
 基本的に、『不定形』中のちょっとした記述のひとつひとつについて何かしら思惑が仕込まれているものとご判断いただいて結構です。深読み大歓迎。


[2012年5月16日追記]

「狂気の山脈にて」の原文中では、"Great Old One"が2回言及されています。
 ひとつめは、第2章の末尾あたり。

the primal myths about Great Old Ones who filtered down from the stars and concocted earth-life as a joke or mistake;(他の星々から流れこみ、ふざけてかあやまって地球の生命をつくりあげたという〈大いなる旧支配者〉についての神話:大瀧啓裕・訳)

 この記述は、ラヴクラフトが同作の覚書に記載した"Cthulhu & other myth - myth of Cosmic Thing in Nec. which created earth life as joke(クトゥルーその他の神話−−戯れに地球上の生物を創造したネクロノミコン中の宇宙的存在にまつわる神話)"という文章に対応しますので、ここで"Great Old Ones"と呼ばれている存在にはクトゥルーが含まれているのだと考えて良いでしょう。
 ふたつめは、第6章の前半、物語全体の折り返し地点あたりになります。

They were the Great Old Ones that had filtered down from the stars when earth was young―the beings whose substance an alien evolution had shaped, and whose powers were such as this planet had never bred.(彼らは地球がまだ若かったころに他の星ぼしから到来した、大いなる〈旧支配者〉−−異質な進化によってつくられた組織とこの惑星がいまだかつて生みだしたことのない能力をもつ生物−−なのだった)

 この箇所の文章は、更にこのように続きます。

And to think that only the day before Danforth and I had actually looked upon fragments of their millennially fossilised substance...(そしてつい一昨日に、ダンフォースとわたしが、その化石化した組織の断片を目にし…)

 よって、ここでの"Great Old One"が前述の神々(クトゥルーを含む)ではなく、南極で発見された"Old Ones"−−「古のもの」を指しているのだと読みとることができます。