ナチス政権下の南極探検

(本稿は、コミックマーケット78にて刊行した森瀬の個人サークル誌『夏冬至点』2010年夏号掲載コラムの再掲です。本来、PHP研究所のコミック『狂気の山脈』に寄稿した解説文に含める予定だったものの、ページ数の都合で割愛したテーマを扱ったものとなります。)

 ドイツ第三帝国を取り巻く、数多くの怪しからん伝説の中に、南極大陸における「ノイシュヴァーベンラント」にまつわるものがある。
 連合国にドイツが降伏してから2ヶ月が経過した1945年7月10日、オットー・ヴェルムート艦長指揮下のドイツ海軍の潜水艦U-530がアルゼンチンのマルデルプラータ港に突然、その姿を現した。その1ヶ月後、8月17日にはハインツ・シェファー艦長指揮下のU-977が同じくアルゼンチンに現れる。
 ドイツ海軍のU-ボートが南氷洋で活動していることについては、戦時中から幾度か報道されていた。作戦海域から遠く離れた場所で、彼らは一体何をやっていたのだろうか−−戦後、しばらくの間、ヒトラーの自殺を信じることができなかった連合国側の人々は、ヒトラーが生き延びて極秘の南極基地に潜み、捲土重来を期しているのだと公然と噂した。この噂を助長したのはU-530の乗員(と、自称する)ヴィルヘルム・ベルンハルトの『ヒトラーロンギヌスの槍』で、彼はこのいかがわしい著作の中で、U-530の真の任務が、ドイツから南極基地へと物資を運ぶことだったと暴露した。
 日本の東機関にも関わったというドイツ国防軍の情報部員だったユダヤ系スペイン人のアンヘル・アルカサール・デ・ベラスコもまた、南極大陸にドイツの財産を移送する作戦に関わっていたと証言する一人だ。ベラスコは南極基地でヒトラーの影武者と対面したというが、彼は広島で使用された原爆が広島原爆はドイツ製であったと主張するなどいかがわしい発言の多い人物であり、信頼性は低いと言わざるをえない。
 本当のところ、ナチス政権下の南極探検とは一体、どのようなものだったのか−−幸い、熱心な研究者たちによって、今日、その全貌はほぼ余すところなく明らかになっている。
 アルフレート・リッチャー率いる遠征隊は、ドイツ海軍の空母シュヴァーベンラントを母船に、1938年12月17日にハンブルクを出港した。リッチャーは海軍に勤務していた民間人で、正規の軍人ではなかった。彼は北極探検の経験者であり、航空機の操縦にも優れていたことから、この遠征隊に抜擢されたのである。
 彼らがドローニング・モード・ランド(アムンゼンやスコット、ミスカトニック大学探検隊が上陸したロス海の反対側)に上陸したのは1月19日。彼らは、以後、2月15日までの期間、彼らは母船の名にちなんだノイシュヴァーベンラントにおいて任務に従事した。
 エーリヒ・フォン・ドリガルスキー率いる1901年の第一次南極探検隊や、1912年のヴィルヘルム・フィルヒナー率いる探検隊など、過去、ドイツから派遣された探検隊は数多くの発見を成し遂げてきた。リッチャーもまた様々な学術調査を行っているが、実のところこの遠征はドイツ政府の意向によるもので、南氷洋における捕鯨の拠点確保が主目的である。時、鯨油は食品油をはじめとする様々な日用品のみならず、ダイナマイトの原料であるニトログリセリンの製造の必需品だったのである。
 ヒトラー政権成立後、国民経済の復興のために軍需産業にテコ入れしていたドイツ政府は、捕鯨産業にも大いに投資した。しかし、第一次大戦戦勝国である英国が、南大西洋におけるドイツの捕鯨活動について制限を加えてきたため、ドイツは新たな捕鯨拠点を確保しなければならなかったのである。こうした背景事情から、1938年の南極探検は四ヵ年計画の一貫として経済相ヘルマン・ゲーリングの肝煎りで認可された。なお、対ソ戦を想定しての極寒地での航空機性能調査や、帰路における南米沖の軍事的調査も任務に含まれたということである。
 探検隊は当初の目的を達成し、1939年1月14日にノルウェーがドローニング・モード・ランドの領有を宣言した折には、ドイツ政府は直ちにこれに反論、ノイシュヴァーベンラントの領有を主張している。ゲーリングの計画では、すぐにも第二、第三の遠征隊を南極大陸に繰り出し、第三帝国最南の領土としてノイシュヴァーベンラントを活用していく予定だった。
 しかし、1939年9月に始まった第二次欧州大戦によってそれどころではなくなった。以後、終戦までの間、ナチス政権下のドイツが南極圏で活動していたことを示す客観的な証拠は存在しない−−これが、真実である。
 しかし、「ナチスの秘密基地」にまつわる噂は尾ひれの枚数を増やしていよいよ盛んに喧伝された。これらの噂話によれば、英国は虎の子の陸軍特殊空挺部隊SASを1943年から1945年にかけてドイツ基地破壊のため南極で展開し、著名な極地探検家リチャード・E・バード少将を指揮官とする1947年のオペレーション・ハイジャンプにも同様の任務が与えられていた。オペレーション・アルゴスというコードネームで呼ばれる1958年の作戦では、3本の核兵器ナチス基地の破壊のために用いられた−−エトセトラ、エトセトラ。
 実際にはSASは南極に行っていないし、オペレーション・ハイジャンプの軍事目的は対ソ戦のための訓練だ。1958年に核兵器がさく裂したのは、ドローニング・モード・ランドから2000キロメートルも離れた場所だった。
 とはいったものの、「ナチス」と「南極大陸」のコラボレーションは、確かに想像力を刺激するワードである。クトゥルー神話読者にとっては、1930年のミスカトニック大学探検隊から8年後という時期の近さから、あらぬ推測を呼び起こされる。このテーマについては、朝松健氏が『S-Fマガジン』1995年5月号で「狂気大陸」という作品を書きおろしているが(ハヤカワ文庫JA『邪神帝国』に収録)、まだまだ「いじりまわす」余地のある題材ではある。
 とりあえず、テケリさんがですなうわなにをするやめr(以後、消息不明)

邪神帝国 (ハヤカワ文庫JA)

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狂気の山脈 (クラッシックCOMIC)

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