永井豪とクトゥルー神話(補遺)

 早川書房『ミステリマガジン』1971年12月号〜1972年2月号に分割掲載されました矢野浩三郎氏の翻訳になる"Call of Cthulhu"について、1/21のエントリ中で下記のように記載しました。

 この作品が初めて翻訳されたのは早川書房の『ミステリマガジン』。翻訳者は後に『定本ラヴクラフト全集』の翻訳に携わった矢野浩三郎氏です。1971年12月号から翌72年2月号にかけて分割掲載されたもので、ラヴクラフトを中心とする作家たちが固有名詞などを共有した架空神話体系についての解説もありました。
 この時の邦題が、実に「クトゥールーの喚び声」です。近い!


 この記述について、朝松健氏より以下の御指摘をいただきました。

・ちょっと待って。
・当該号の目次は見ましたか?
・なんと目次には「クトゥルーの喚び声」となってます。


   。 。
  / / フタグン!
( ,,, )

 大慌てでミスマガの該当号を引っ張り出す森瀬。
 果たして、マジでした。
 論より証拠、まずは下の写真を御覧ください。


 本文のみならず、「ラヴクラフトと"クトゥールー神話"」と題する解説文において、矢野氏は一貫して「クトゥールー」と書かれています。何故、このような表記のブレが起きたのか−−これについては、はっきりした経緯が判明しております。当時、これを読んだ朝松氏が、矢野氏に直接質問したのだとか。
 矢野氏の御説明に曰く、矢野氏の原稿では、本文、解説文と共に「クトゥールー」と書いたにも関わらず、何故かミスマガの目次と扉では「クトゥルー」表記になっていた由。
 何と、「誤植」だったというわけです。
 当時のミステリマガジンは太田博(各務三郎)氏の一人編集部状態で制作されていたということでしたので、つい見落としてしまったのだろうというのが朝松氏の御説明。この「誤植」は72年1月号、2月号の目次、扉にもそのまま継続していました。
 1972年の『S-Fマガジン』で「クトゥルー」表記が用いられたのも、『ミステリマガジン』の目次で用いた表記がそのまま使われたらしいのです。
 早川書房さんの場合はわかりませんが、執筆者の意向とは関係なく、各刊行物の表記を統一しようとする傾向が出版社には見受けられます。僕自身の経験を申し上げると、PHP研究所のコミック『クトゥルフの呼び声』の解説を請けた折、提出原稿では「クトゥルー」になっていたところをコミック出版部の編集者側に勝手に「クトゥルフ」に機械的に変更されました。既存刊行物の固有名詞まで変更されていたので、校正時にこちらで直したぐらいです。
 理由を問い質すと、「既存の刊行物(『「世界の神々」がよくわかる本』『「クトゥルフ神話」がよくわかる本』などのことでしょう)の表記に合わせたいとのことでした。たいそう腹立たしいことでしたので、僕が同社の文庫編集部から刊行させていただいた『伝説の「ドラゴン&ドラゴンスレイヤー」事典』では「クトゥルー」表記を使用し(もちろん、編集部側に「クトゥルー表記で行きたい」ということでOKを得ております)、それを盾にコミック『インスマウスの影』『狂気の山脈』の解説では「クトゥルー」「インスマス」などの表記で押し通したわけですが、それはまあ余談ですね。ちなみに、やはりコミック出版部の『うちのメイドは不定形』もこっちの原稿では(以下略)。
 そんなこんなで、現時点で確認される限りでの「クトゥルー」表記の刊行物上の初出は『ミステリマガジン』1971年12月号ということになったわけですが、それが「誤植」から生まれたというのは、何ともコミカルなお話です。ちなみに朝松氏は、このエピソードと同時にホルヘ・ルイス・ボルヘスラヴクラフト作品のことを"comic horror(邦訳では「滑稽な恐怖譚」)"と評したという事例を紹介し、これもまた編集者の誤植から生まれたのかも知れないと考察されています。
 とまあ、このようにヒョウタンからコマのように飛び出してきた「クトゥルー」ですが、僕自身は別の理由から「クトゥルー」表記をもっぱら使用しています。そのあたりについて、次の日記の課題としましょう。

[追記]
"comic horror"の件の出典は『定本ラヴクラフト全集7-I』に収録されているバートン・L・セント=アーマンド教授の「ラヴクラフトボルヘス」で、ボルヘスの『アメリカ文学入門』からの引用という形になっていました。
 この『アメリカ文学入門』、原題を"Introduccion a la literatura noteamericana"といって、1967年にブエノスアイレスで刊行されたもの。実は『ボルヘスの北アメリカ文学講義』として邦訳されているので書庫から掘り出してみたところ(時間がかかってしまった……)、こちらの該当箇所が何と「宇宙をめぐる悪夢」になっていました。
 1971年の英訳版からの翻訳とあるので、アーマンド教授が見たものと同じもののようなですが、どうもスペイン語からの翻訳が怪しそうだということで、原典と照らし合わせながら翻訳したのだそうです。ボルヘスの原文では、「滑稽な恐怖譚」ではなく「宇宙的な恐怖譚」になっていたのだと考えて良いかと思われます。

伝説の「ドラゴン&ドラゴンスレイヤー」事典 (PHP文庫)

伝説の「ドラゴン&ドラゴンスレイヤー」事典 (PHP文庫)

ボルヘスの北アメリカ文学講義 (ボルヘス・コレクション)

ボルヘスの北アメリカ文学講義 (ボルヘス・コレクション)